源氏物語の頃の衣食住―8
明石の君の濃紫
明石の君は明石入道の娘で、光源氏が京を離れ須磨に隠棲していた頃に出会い、光源氏との間に娘をもうけた女君です。
光源氏が都へ戻ると、しばし離れ離れになりますが、しばらくして娘と共に京へ迎えられます。
その後、明石の君は自らの身分が低いことを鑑みて、娘の将来を考え光源氏と紫の上に託します。
都へ戻ったのち栄耀栄華を極めた光源氏は、壮大な六条院という邸宅をつくり、ゆかりの深い女君を春夏秋冬それぞれの町に住まわせます。
光源氏は紫の上と共に東南の春の町に住み、明石の君は戌亥の方角である北の町に迎え入れられて過ごします。
年末の衣配りの際、光源氏は紫の上と相談しながら、六条院の各町に住まう女君へ衣を選んでいきます。
それぞれに相応しいと思う衣を選んでいった光源氏は、明石の君には濃紫の袿に唐風の浮文の白い小袿を選びました。
その組み合わせは、明石の君はどんなに素敵な女性なのだろうと、紫の上が想像せずにはいられないほど、上品でセンスのよい組み合わせでした。
紫の上の想像通り、明石の君は父の明石入道が都の女性にもひけをとらぬよう、あらゆる教養を身に着けさせた、品格と奥ゆかしさを持つ女性でした。
しかし、身分が低く地方出身であることから、六条院では決して出しゃばらず、つつましやかに賢く過ごしていました。
明石の君がその将来を考えて手放し、光源氏と紫の上の養女になった一人娘の明石の姫君は、のちに入内し東宮妃となり皇子を産み、ついに中宮にまで上り詰めます。
桐壺と藤壺の亡きあと、光源氏の最愛の人は紫の上とされますが、紫の上との間には子をなすことはありませんでした。
それに対し、明石の君は光源氏の子を産み、中宮の母となり、光源氏の命を次世代に繋ぐ人となりました。
紫式部は源氏物語の中で、光源氏と女人との縁を紫という色で表わしています。
その紫のゆかりは、薄紫色の桐の名をつけた桐壺の君、藤色の藤の名をつけた藤壺の君、そして名前に紫がついた紫の上に紡がれていると研究者からは言われて来ました。
その紫のゆかりの話には、ほとんど明石の君は出て来ません。
しかし、光源氏は衣配りの際、明石の君に濃紫を選んで贈っています。
濃紫色は冠位十二階でも最高位とされた、大変高貴な色で、決して高い身分ではなかったけれど、光源氏のこどもを産み、濃紫を贈られた明石の君も、実は紫のゆかりの女人の一人だったのではないでしょうか。
源氏物語の頃の食―平安時代の果物と菓子
奈良時代と同様、平安時代も、お菓子といえば果物などを指しました。
平安初期の「延喜式」には「諸国貢進菓子」として、朝廷に納めなければならない菓子が、各地方の国ごとに決められていました。
山城・大和・河内・摂津・和泉は、果実に多数の突起があり、暗紅紫色に熟したものを食べる楊梅子(やまもも)。
山城・丹波・因幡は、栗を蒸して粉にした平栗子(ひらぐり)。
丹波は、栗を石焼きにした後、甘みをつけた甘栗子(あまぐり)。
丹波・但馬・播磨・美作は、乾燥させて皮をとった搗栗子(かちぐり)。
大和は、ヘーゼルナッツ(セイヨウハシバミ)の近縁種である榛子(はしばみ)。
伊勢・越前・丹波・因幡は、椎子(しいのみ)。
河内・摂津は、ミカンより小ぶりで酸味のある花橘子(たちばな)。
河内・筑前・壱岐は、別名イヌビワと言われる木蓮子(いたび)。
遠江・駿河・相模・因幡は、現在のミカンの原形である柑子(こうじ)。
因幡は、ヤマナシを指す梨子(なし)。
甲斐は、現在の20世紀のような、皮が青味がかった青梨(あおなし)。
因幡は、中国原産の生薬で、韓国料理にも使われる干棗(ほしなつめ)。
備中は、赤く小さい諸成(ぐみ)。
山城・近江は、アケビによく似た、種の多い郁子(むべ)。
山城・大和・河内・摂津は、果実は楕円形で熟すと割れる蔔子(あけび)。
山城・河内・摂津は、現在のノイチゴとか木イチゴと呼ばれる覆盆子(いちご)。
越前は、ヤマノイモの葉の付け根の茎の一部が肥大化した薯蕷子(むかご)。
丹後は、湖沼の水草にできる、菱形の種子の菱子(ひしのみ)。
越前は、現在のヤマイモ、もしくはナガイモである薯蕷(やまのいも)。
河内は、現在のレンコンである蓮根(はすね)。
甘葛煎(あまづらせん)は、ツタの抽出液を水飴状に煮詰めた当時の甘味料で、伊賀・遠江・駿河・伊豆・出羽・越前・加賀・能登・越中・越後・丹波・丹後・但馬・因幡・出雲・美作・備前・備中・紀伊・阿波・大宰府など、多くの国から献上されました。
源氏物語の頃の住まい―源氏物語の六条院
光源氏は若い頃は二条院に住み、失脚してひとたびは須磨に隠棲しますが、一年あまりで兄の朱雀帝から都に呼び戻され、再び朝廷で出世の階段を登っていきます。
六条院は光源氏がそうして栄耀栄華を極めていった、35歳頃の夏に完成した壮大な屋敷です。
六条院は、現在の六条京極あたりに四町(一町は約4400坪)という広大な敷地に造られました。
その敷地には六条御息所の元邸や、紫の上が祖母から引き継いだ邸の土地も含まれていたと言われます。
この広い敷地を4つに分け、辰巳(東南)は春の町、丑寅(東北)は夏の町、未申(西南)は秋の町、戌亥(西北)は冬の町としました。
春の町には光源氏と紫の上、明石の君の娘である明石の姫君が住みました。
夏の町には花散里と夕霧、後に玉鬘が西の対に住みました。
秋の町は元々六条御息所の邸跡で、彼女の娘で秋好中宮の里邸でもあったので、秋好中宮が住みました。
冬の町は、寝殿がなく対の屋2つが並ぶ質素な造りで、明石の君が住みました。
春夏秋冬それぞれの町に四季の趣向をこらした庭を造り、そこに相応しい女主人が住むことで、六条院は益々輝きを増し、光源氏の理想郷となったのです。
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