源氏物語の頃の衣食住―10
源氏物語の色―女三宮の桜色
女三宮は、父である朱雀帝の第三皇女として生まれ、蝶よ花よと大切に育てられた女宮でした。
朱雀帝は出家するにあたり、後ろ盾がない女三宮の行く末を案じ、嫁ぎ先を探します。
頭中将の息子である柏木も候補の一人でしたが、熟慮の末、朱雀帝は光源氏に女三宮を託し嫁がせます。
朱雀帝の願いを受け入れ、女三宮を正妻に迎えた光源氏でしたが、その未熟さに戸惑いを隠せず、足が遠のきがちになります。
一方、女三宮に正妻の座を譲ることになった紫の上は、何事もなかったように振舞っていましたが、次第に物思いに沈むようになり、ついには病に倒れてしまいます。
そして紫の上は出家を望みますが、紫の上を離したくない光源氏はそれを許しません。
光源氏が二条院で療養している紫の上の看病で六条院を留守にしている間に、女三宮への思いを募らせていた柏木と女三宮の距離は近づいていきました。
そしてついに柏木は女三宮の部屋へと忍び込み、一夜を共にしてしまいます。
しばらくして女三宮は身ごもるのですが、光源氏には心当たりがありません。
不審に思った光源氏は、女三宮の部屋で、柏木からの恋文を見つけてしまいます。
柏木が許せぬ光源氏は、柏木に宴席で無理に酒を飲ませ、女三宮との間に起こったことを知っていると仄めかします。
光源氏に密通を知られたことで絶望した柏木は病に倒れ、ついには亡くなってしまいます。
その後、女三宮は男子を出産しますが、光源氏は女三宮にも子どもにも素気ない態度で接します。
女三宮は光源氏の心が離れてしまったことを感じ取り、思い悩んだ末に尼になることを決意します。
女三宮の思いを聞き、光源氏は反対しますが、女三宮はついに出家します。
光源氏はこの時、女三宮と柏木の不義が、かつて自分が藤壺女御に子どもを産ませたことの因果応報であったのだ、と思い知ることになるのです。
女三宮が産んだ男子は薫と名付けられ、光源氏の息子として成長し、のちに源氏物語の宇治十帖の主役となっていきます。
源氏に嫁した女三宮が、六条院で柏木に姿を見られた際に着ていたのは、桜襲(さくらがさね)という色合いの細長(若い女宮の普段着)でした。
下に紅梅の紅の濃淡を重ね、その上に紅色の裏地をつけた白い上着を羽織った女三宮は、柏木の目には桜の精のように見えたのでしょう。
この美しい桜色に彩られた不用意な出会いが、後の大事件を招くことになるのです。
「紅梅にやあらむ、濃き薄き、すぎすぎに、あまた重なりたるけぢめ、はなやかに、草子のつまのやうに見えて、桜の織物の細長なるべし。」「若菜 上」
源氏物語の頃の食―平安時代の酒
古来より日本では、日本人の主食である米からつくった酒が飲まれていました。
一般的にアルコールは酵母が糖分を分解して生成されます。
米から糖分を作るためには、まず米のでんぷん質を糖に変化させなければなりません。
日本酒を作るには、この糖化とアルコール発酵を同時に行う並行副発酵という技術が必要です。
原始の酒は、生米を噛んで水の入った容器に吐き出し、溜めたものを放置してつくる「口噛み酒」などの製法でつくられていました。
4世紀頃に麹菌ででんぷんを糖に変える方法が見つかり、平安時代には、宮廷の中の造酒司(みきのつかさ)と呼ばれる組織が設けられ、宮廷行事に使われる酒をつくるようになります。
源氏物語には、酒(さけ)、御酒(みき)、御御酒(おみき)、大御酒(おほみき)などの酒に関する言葉が出てきます。
酒、御御酒、大御酒は全て、造酒司で醸造され、天皇や神前に供奉する酒でした。
酒は五節句をはじめ、物語に出てくる宮中での儀礼や饗宴などに供され、光源氏をはじめ、多くの宮廷貴族が酔いしれたことでしょう。
源氏物語の頃の住まい―六条院の四季
光源氏が栄耀栄華を極めた際に作った壮大な屋敷が、六条院です。
今でいえば約4400坪相当の広大な敷地を四つに分け、辰巳(東南)の方角は「春の町」、丑寅(東北)の方角は「夏の町」、未申(西南)の方角は「秋の町」、戌亥(西北)の方角は「冬の町」と名付けました。
東南の「春の町」には、光源氏と紫の上、明石の姫君が生活し、のちに女三宮も住みました。
春の町は六条院の中心であり、重要な儀式を行う時はここの宸殿を使いました。
春の町の庭には、五葉松や紅梅、桜に藤、山吹、岩躑躅など、春の花を中心とした植物がとりどりに趣向を凝らして植えられ、春には仏がいらっしゃる国のようでした。
築山と大きな池もあり、その池は秋の町とも繋がり、船を行き来させて楽しむことも出来ました。
東北の「夏の町」には、花散里と夕霧、のちには玉鬘も住みました。
夏の町には名前に相応しい涼し気な泉があり、花橘や撫子など夏の花が植えられていました。
穏やかでおおらかな花散里は、光源氏から信頼され、夕霧や玉鬘を託されて、母代わりとして養育しました。
西南の「秋の町」は、秋好中宮が住んだところです。
秋の町は元々秋好中宮の母、六条御息所の邸宅跡地で、滝が作られ、広い秋の野原のように造られていました。
秋の町と春の町とは池でつながっており、秋の町の秋好中宮と春の町の紫の上は、女官を使者とした手紙のやりとりで、互いに春秋の優劣を競い、楽しみました。
明石の姫君の裳着は、秋の町で行われ、秋好中宮が腰結役をつとめました。
この裳着の行事に紫の上は秋の町を訪ね、初めて秋好中宮と直接顔を合わせます。
西北の「冬の町」には明石の君が住みました。
冬の町には宸殿はなく、大きな二つの対の屋がある質素な住居で、庭には常緑の松を沢山植え、松の緑に白い雪が積もる雪景色を楽しみました。
明石の君の娘の明石の中宮は、光源氏と紫の上の養女となったので春の町が里邸でしたが、出産の際にはこの冬の町に移りました。
六条院の春夏秋冬の町それぞれには、その町にふさわしい女君が住み、その季節の花木に彩られた庭が設えられました。
一年を通して日本の四季が楽しめるように造られた見事な邸宅は、光源氏の現世の栄耀栄華の象徴となりました。
しかし、この六条院に女三宮を迎えてから、光源氏の人生は暗転していくのです。
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