和の暮らし
十月神無月
十月 神無月
十月の別名は「神無月(かんなづき)」。
「神無月」の名の謂れとしてよく言われるのは、十月は全国の神様が出雲大社に集われ、地元にいらっしゃらなくなるから、神が無い月だと言う説です。
その出雲大社のある出雲では、逆に全国の神様が沢山集まるので、十月は「神在月(かみありつき)」と呼ぶのだそうです。
しかし、これは俗説で、次のような話もあります。
六月の別名「水無月(みなづき)」の「無(な)」は、「の」の意味を持つものなので、十月の別名「神無月(かんなづき)」は「神の月」であるという説です。
こちらの説を取れば、「神無月」は神様はいらっしゃらない月でなく、神様を祭る月なのです。
どちらの説にしても、十月は神様と関係の深い月だということがわかります。
それではなぜ出雲大社に神様が集まるという話が出てきたのでしょうか?
旧暦十月は、ちょうど稲の収穫を終える時期です。
古から、ご先祖様の霊は、春に山から降りて来て田の神となり、秋の収穫を見届けた後、山へ戻られていくと信じられていました。
このような祖霊信仰が、出雲大社への信仰と結びつき、全ての神様が出雲に向かい集まる、という話に変わって行ったのだと思われます。
「神無月」の他には、「良月」、「上冬」、「雷無月」、そして、新穀を神に捧げるので「神嘗月」、収穫した米で酒を醸すので「醸成月」、などという呼び名もあります。
「神無月」というこの月名には、日本人の命を繋いで来た稲作と、神様にその稲作の豊作を切に願った、古来の人々の祈りが込められています。
寒露
秋の夕暮れは、よく釣瓶落としと言われます。
釣瓶(つるべ)とは、井戸から滑車で水を汲み上げる桶のことです。
釣瓶がスルスルと井戸の中へ落ちていく様が、日が傾いたと思ったら、 あっという間に暮れる秋の日の沈む早さと似ていることから、そう呼ばれるようになったようです。
先月9月前半は、露が降り白く光ることから「白露」と呼ばれましたが、10月になると、降りた露は冷たい空気で冷やされ、冷たい露となります。
その冷たく感じられる露から、この時期は「寒露」と呼ばれます。
新暦では、10月8日頃から10月22日頃までです。
寒露の初候(新暦10月8日~12日頃)「鴻雁来る(こうがんきたる)」
北から帰行していた雁が、冬越しのために戻ってくる頃です。
雁は、鴨目鴨科の水鳥の総称で、繁殖地であるロシアから遥々4000キロを渡って、日本に飛んできます。
そして、日本に渡ってくる雁の約8割近くが、日本で越冬します。
その年初めて訪れる雁のことは、初雁(はつかり・はつかりがね)といい、秋の季語となっています。
寒露の次候(新暦10月13日~17日頃)「菊花開く(きっかひらく)」
菊の花が咲き始める頃です。
五節句の一つ、重陽の節句は旧暦の9月9日で、新暦では10月半ばのこの時期です。
この節句の主役は菊で、菊の花を生けたり、菊の香りを移した菊酒を飲んだりして、不老長寿を願います。
菊の花が盛りになるこの頃は、目でも舌でも菊を楽しめる季節です。
寒露の末候(新暦10月18日~22日頃)「蟋蟀戸にあり(きりぎりすとにあり)」
秋が深まると、野にいた虫も人家に近づき、軒下で鳴くようになります。
初秋の頃には華やかだった虫の音も、次第に静かにゆっくり途絶えていきます。
日本人は虫の音にも季節や情感を感じ、歌にも詠んできました。
古今集の和歌にも「きりぎりす 鳴くや霜夜のさむしろに 衣肩しきひとりかも寝む」と読まれています。
霜降(そうこう)
霜降は、まさに字の如く「霜が降りる」ということです。
秋が深まると、朝晩ぐっと冷え込んで来て、露が冷気によって霜になって降りてきます。
霜は空気中の水蒸気が水になることなく、氷の結晶になることで生まれます。
夜晴れていると、放射冷却により地面が冷やされ、氷点下になると、空気中の水蒸気が凍結します。
この結晶がゆっくりと地面や草の葉に降りて来たものが、霜となります。
新暦では10月23日から11月6日頃までです。
霜降の初候(新暦10月23日~10月27日)「霜始めて降る(しもはじめてふる)」
霜が初めて降りる頃です。
北から初霜の便りが届き始め、朝晩はぐっと冷え込んできます。
霜が草に降りて白く光る様は美しいものですが、農作物には大敵です。
この時期になると農家は作物に藁やビニールをかけて、霜害を防ぎます。
霜降の次候(新暦10月28日~11月1日頃)「霎時施す(しぐれときどきほどこす)」
時雨は、秋から冬にかけ、降ったり止んだりする雨のことです。
四季の移り変わりがある日本は、季節や気候を表す言葉が豊かです。
雨に関する名称も、昔から沢山あり、時雨にも降り方や降る時間により、沢山の名前がつけられています。
その秋はじめて降るのは「初時雨」。ひとところに降るのを「片時雨」。横なぐりに降るのを「横時雨」。朝に降る「朝時雨」。夕方に振る「夕時雨」。夜に振る「小夜時雨」。
秋から冬への雨をも愛でて生きた日本人の思いが、時雨の名前からも感じられます。
霜降の末候(11月2日~6日頃)「楓蔦黄なり(もみじつたきなり)」
楓や蔦などが紅葉して、秋の山が彩られる頃です。
楓(カエデ)はムクロジ科カエデ属の木の総称で、紅葉する葉の代表格です。
赤く色づいた蔦も美しいものですが、ウコギ科の冬蔦は緑のままで、紅葉するのはブドウ科の夏蔦です。
楓や蔦をはじめ、様々な樹木が紅葉して、山が華やかに着飾るように見えることから、紅葉した山を「山装う」という表現もあります。
十五夜と十三夜
「十五夜」は旧暦の八月十五日で新暦では九月の中旬頃。
「十三夜」は旧暦の九月十三日で、新暦の十月の中旬あたりです。
月の美しい「十五夜」も「十三夜」も、作物の収穫の時期で、秋の実りが無事収穫できたことを月に感謝し、お団子をお供えするようになりました。
「十五夜」の時期は里芋も取れるので、別名「芋名月」ともいいます。
また「十三夜」の頃は、収穫できた栗や豆も供えることがあるので、「栗名月」とか「豆名月」とも呼びます。
「十三夜」は後の月と呼ばれ、「十五夜」に負けず劣らず美しい名月です。
「十五夜」と「十三夜」を合わせて「二夜の月」と呼び、どちらか片方しか見ないのは「片月見」「片見月」として忌み嫌われたものでした。
今年はお団子だけでなく、栗や豆もお供えして、「十三夜」の美しい月も楽しんでみてはいかがでしょう。
栗
「十三夜」は「栗名月」とも呼ばれるように、この頃が収穫時期です。
栗の中でもニホングリと呼ばれる和栗は、野性の芝栗を品種改良したものです。
実は大きく栗の味が豊かですが、甘味は少なめで、渋皮がはがれにくいのが特徴です。
日本ではかなり古くから食されており、三内丸山遺跡にも栗を食べた形跡が残っています。
平安時代初期に京都の丹波地方で栽培されはじめ、現在では「丹波栗」はブランド栗として有名です。
栗は大変栄養価が高い食品で、カリウムや食物繊維、そして意外に思われるかもしれませんが、ビタミンCも豊富です。
ビタミンCは熱に弱いのですが、栗のビタミンCは、デンプン質に守られているので、加熱しても壊れにくいのです。
ゆで栗や焼き栗で食べてもよし、モンブランのようなスイーツでいただいてもよし、鶏肉や根菜などと煮物にしてもよし。
秋の美味しく栄養たっぷりな贈り物の栗を上手に活用して、美味しくいただきましょう。
紅葉と紅葉狩り
草木が赤や黄色に染まることを紅葉といい、その際には「こうよう」と読みますが、もう一つの読み方は「もみじ」です。
「もみじ」という言葉は、木の葉が赤や黄色くなる」という意味の動詞の「紅葉つ(もみつ)」や「黄葉つ」に由来するそうです。
この「もみつ」が次第に「もみづ」に変化し、その葉を「もみち」「もみぢ」と呼ぶようになり、紅葉を「もみじ」と呼ぶことが定着しました。
日本にはイロハモミジやヤマモミジなど、名前に「もみじ」が付くものもありますが、植物の分類学上は、カエデもモミジも同じカエデ科カエデ属の植物です。
赤や黄色に変わる草木は皆モミジであり、カエデは代表的なモミジの植物ということになります。
山野を錦に彩る紅葉を楽しむ風習は、奈良時代から始まったといわれ、紅葉を詠んだ歌は「万葉集」にも登場します。
平安時代には、紅葉を見に出かけたり、紅葉を愛でる宴も開かれるようになります。
江戸時代になると、庶民も紅葉を見て楽しむようになり、季節の行事として、根付いていきました。
ところで、桜を見るのは「花見」というのに、なぜ紅葉を見るのは「紅葉狩り」というのでしょうか?
元来「狩り」は、獣を捕まえる意味で使われていましたが、野鳥や小動物を捕まえる意味にも使われるようになっていきます。
更に果実を採取する意味にも使われるようになり、薬草を求める「薬狩り」や「きのこ狩り」なども盛んに行われたようです。
また、「狩り」をしなくなった平安時代の貴族たちが、紅葉を愛でる際に木の枝を手折ったり、葉を集めることを、「狩り」と呼んだからともいわれています。
「紅葉狩り」は、能や歌舞伎の演目にもあり、和歌や俳句にも詠われています。
深まる秋の「紅葉」を愛でる「紅葉狩り」、色々に楽しみたいですね。
虫の音
鳴く虫、虫鳴く、虫の声、虫の音(むしのね)、虫集く(むしすだく)、虫時雨(むししぐれ)、虫聞き、昼の虫、虫の闇、虫の秋。
虫を使った季語で、主に秋を表すものです。
夏に盛んに鳴く蝉は別として、虫が鳴くといえば、秋でしょう。
そして、その虫の声が聞こえると、日本人は秋の訪れを感じるものです。
しかし、世界のほとんどの人々は、虫が鳴く音に風情や情緒を感じることはないようなのです。
逆に、騒音と感じたり、虫が鳴く音が、虫が出す音と認識できないこともあるようです。
日本人は、虫の出す音を虫が鳴く、と受け取り、「虫の音(ね)」と名付けました。
静かな秋の夜の野から聞こえてくる虫の鳴き声は、涼やかな「音色」として、虫の声の掛け合いは、虫の奏でる「音楽」として、とらえました。
虫の鳴き声を「虫の音」として愛で、しみじみと秋の気配を感じる日本人の感性は、世界では特別なものなのかもしれません。
私たち日本人が当たり前のように感じる心は、日本の豊かな自然と四季のうつろいからの贈り物です。
秋の訪れを「虫の音」で感じられる自然の山野を、改めて大切にせねばと思います。
日本人とハロウィン
近年、日本でもハロウィンの行事を楽しむ人が増えてきました。
ハロウィンは、2,000年以上昔の古代ケルト民族に生まれた宗教儀式のひとつで、サフィン祭が起源と言われています。
古代ケルト民族の一年の終りは10月31日で、秋の収穫を祝い、悪霊を追い払うものがサフィン祭でした。
サフィン祭には、日本のお盆と同様に、霊が家族に会いに来ると信じられており、と同時に、悪霊や魔女も出てくるとも思われていました。
この悪さをする霊や魔女から身を守るために、人々は仮面を被ったり、魔よけの焚き火などをしたと言われています。
それが世界の国々に伝わり、それぞれ独自に変化して行き、特にアメリカでは民間行事として定着しました。
主には、カボチャの中身をくりぬき、「ジャック・オー・ランタン」を作り飾ることや、魔女やお化けや怖いものに仮装したりする行事が行われます。
子どもたちは日が暮れると、仮装をして近所の家を回り、「TRICK or TREAT(トリック・オア・トリート=お菓子をくれないと、いたずらしちゃうぞ)」と言って、お菓子をねだります。
大人は、「Happy Halloween!(ハッピーハロウィン)」と言って、訪ねてきた子供たちにお菓子をあげます。
アメリカでは主に、子供が仮装する地域行事であったものが、最近の日本では、子どもにも増して、大人が仮装を楽しむ行事になりつつあります。
これはハロウィンだけに限ったものでなく、日本は昔から異文化を取り入れる際、実に面白い取り入れ方をするように思います。
異文化をしっかり模倣する場合もありますが、多くの場合はその異文化行事の中で、日本の生活に取り入れやすいものだけを上手に取り入れてきています。
クリスマスがよい例で、キリスト教を信仰し洗礼を受けるまでの人は少ないですが、クリスマスツリーを飾り、クリスマスケーキを食べる人は沢山います。
ハロウィンも日本では、収穫の実りを喜び、祖霊に感謝し、一緒に出てきた悪霊は払う、という本来の風習よりは、仮装をし、お菓子を配る、ということを楽しむ人が多いのではないでしょうか。
それは決して悪いことでなく、これこそが日本人の日本人らしいところと思います。
キリスト教からは楽しいクリスマスを取り入れ、ケルト信仰からも面白い仮装や美味しいお菓子は取り入れながらも、精神的支柱は日本古来のものを持ち続けています。
日本人の異文化との折り合いの付け方が実によくわかるのが、ハロウィン行事の取り入れ方のように思います。
秋の雲
「天高く馬肥ゆる秋」という言葉があるように、秋の晴れた空はとても高く美しく見えます。
晴れの天気は高気圧によってもたらされるのですが、秋の晴れは大陸からの高気圧によるものです。
この大陸からの高気圧は乾燥しているため、空が澄んでみえます。
又、秋分の日を境に陽射しの強さが弱まり気温が下がっていくと、空気の対流が起こりにくくなり塵やほこりが空気中に少なくなるため、より青々と見えるのだそうです。
澄み渡った秋の青く高い空には、特徴的な雲がよく見られます。
代表的なものとして、いわしが群れで泳いでいるように見える「いわし雲」、「さば」の背にある斑紋のような「さば雲」、魚のうろこのように見える「うろこ雲」、ひつじの群れに似ている「ひつじ雲」、などがあります。
「いわし雲」、「さば雲」、「うろこ雲」と呼ばれる雲は正式には券積雲(けんせきうん)といい、「ひつじ雲」は高積雲といいます。
高度2000~7000キロ程度にできる高積雲は、主に水滴からなり、小さな雲の塊が斑状や帯状に並んだ形の雲で、巻積雲に比べて一つ一つの塊が大きいのが特徴です。
「うろこ雲」や「いわし雲」、「さば雲」は、高度5000~1万5000キロ程度に出来る巻積雲で、小さな塊が沢山集まっている雲です。
実はどの雲も年中見られるのですが、前述のように秋は空が澄みわたり上空高くまでよく見渡せるため、これら高積雲や巻積雲もよく見えるのだそうです。
空気が澄んで青く高い空に、様々な形を描いて広がる雲の様子、この秋はゆっくり楽しんでみたいですね。
えびす講
えびす講とは、七福神の一人である「えびす様」をおまつりする行事です。
「えびす様」の「えびす」は、「戎」、「恵比寿」、「胡」、「恵比須」、「蛭子」、「夷」、など色々な表記があり、「えべっさん」、「えびっさん」などと呼ばれることもあります。
福々しい顔に烏帽子を被り、右手に釣り竿、左手に鯛を抱えたおなじみの「えびす様」は、七福神で唯一の日本の神です。
元々「えびす様」は、古くは海運守護や豊漁祈願といった漁業の神でしたが、次第に商人には商売繁盛の、農民にとっては五穀豊穣の神として、それぞれの家にとっては家運隆盛の神として信仰されるようになりました。
「えびす講」は講のひとつで、同業者が集まって行う祭祀だったのですが、どの職業の人にとっても御利益があるとされるようになって、「えびす様」は日本の各地域でお祀りされるようになりました。
そして全国的に行われるようになった「えびす講」の日には、青物を売る市が立ち、さまざまな縁起物を飾った福笹や熊手などが売られるようになりました。
「えびす講」を行う時期は、関東をはじめ多くの地域では十月二十日に行うことが多いので、「二十日夷(はつかえびす)」と呼ばれます。
関西では一月十日に行われることが多く、「十日夷(とおかえびす)」と呼ばれるようで、地域によって日程が異なっています。
ところで旧暦十月は神無月といいますが、これは日本中の神様が出雲大社に集まって話し合いをするため、各地の神様が不在になるからついた名と言われます。
「えびす様」も神様なので、当然神無月は出雲に出かけると思いきや、何故か各地に居残ります。
実は「えびす様」は各家を守る福の神なので、神々の留守を守るため、各地に一人残ってくれるのだそうです。
いつの世も留守番をしてくれる奇特な役回りの人がいてくれるものですが、「えびす様」は神様の中の「留守神」なのですね。
「紅葉のお月見風呂敷」タペストリー
十五夜の頃には緑だった木々の葉も、神無月の十三夜の頃には、色づいていきます。
紅葉がはらはらと落ちていく中見る「十三夜」の月は、格別大きく輝いていることでしょう。