和の暮らし
一月睦月
一月 睦月
一月は新しい一年の始まりの月です。
別名として最初であること、おめでたいことを意味する「端月」、「初春月」、「嘉月」、などに加え、「睦月」、「むつび月」、「睦まし月」、「睦びの月」と、「睦」という字を使った別名が沢山みられます。
一年の初めのお正月には親類縁者や友人知人が互いに行き来し集まり、仲睦まじく過ごすことから、「睦」という字をあてたと思われます。
私の子どもの頃のお正月は、遠くの親戚も寄り集まって、大人数になり賑やかで、お年玉やお土産がもらえるワクワク楽しみな特別な日でした。
久しぶりの再会を喜び、互いの近況を伝えあい、沢山の人数で食卓を囲みました。
大人たちはおせちをつまみながら酒を酌み交わし、子どもたちはお菓子を食べながら、カルタやトランプで遊んだりして、たまにしか会えない親戚でも、自然に仲良く過ごすひとときでした。
親戚や友人知人が睦みあう月が、一年のはじめ、1月睦月でした。
一月 小寒・大寒
小寒(しょうかん)
寒さがしだいに厳しくなっていく頃で、小寒の日から「寒」の季節に入ります。
新暦では1月5日頃から19日頃です。
小寒の初候(新暦1月5~9日頃)「芹乃栄う(せりさかう)」
芹が生えてくるころ。
芹は湿地や畔などに競り(せり)合うように群生することから、「芹」と名付けられたといわれています。
春の七草のひとつで、正月七日には一年の健康を願い、七草粥をいただきます。
小寒の次候(新暦1月10日~14日頃)「水泉動く(すいせんうごく)」
水泉とは地中で凍りついていた泉が、かすかに緩み、動きはじめるということ。
十一日にはお供えの鏡餅を割り、鏡開きをします。
小寒の末候(新暦1月15日~19日)「雉始めて雊く(きじはじめてなく)」
雉の雄が雌への求愛の甲高い声を上げる頃。
雉は微かな陽気を感じることができる鳥だそうで、日本の国鳥です。
大寒(だいかん)
その名の通り、一年の中で最も寒さが厳しくなる頃で、新暦では1月20日頃から2月3日頃です。
大寒の初候(新暦1月20日~24日頃)「款冬華さく(ふきのとうはなさく)」
款冬とは蕗のことで、まだ大地は凍てついている中にも、蕗の薹(ふきのとう)が頭をのぞかせてきます。
一番寒いこの時期にも、地中では春を迎える準備が進んできています。
大寒の次候(新暦1月25日~29日頃)「水沢腹く堅し(みずさわあつくかたし)」
流れがある沢の水でも、この時期は堅く厚く張り詰めるようになります。
日本の最低気温マイナス四十二度はこの時期に確認されました。
大寒の末候(新暦1月30日~2月3日頃)「鶏始めて乳す(にわとりはじめてにゅうす)」
水はまだ凍っているけれども、蕗の薹が頭を覗かせ始め、鶏は卵を産み始めます。
三寒四温を繰り返しながら、季節は春を目指します。
年のはじめの正月行事
正月というのは元々は新年を迎えた最初のひと月の事でしたが、今では正月行事をする期間をいいます。
地域によって、1月7日の松の内までというところもあれば、1月15日の小正月まで、というところもあります。
その正月行事とは、新しい年を司る歳神様をお迎えする行事です。
歳神様は家族に幸福と健康を授け、新年の五穀豊穣や家内安全をもたらしてくださいます。
暮れに立てる角松や、玄関に飾るしめ飾りは、その歳神様に来て頂くための目印です。
お正月に頂く「おせち」は、本来は折々の節日に神様に供える料理のことでしたが、次第に節日の中でも一番重要な正月の料理を指すようになりました。
ですのでお正月の「おせち」は年神様に捧げる供物で、五穀豊穣、家族の安全と健康、子孫繁栄をお祈りするものが詰められています。
数の子は子孫繁栄、黒豆は丈夫でまめまめしく働けるように、田作りは稲をはじめとする五穀豊穣など、それぞれに願いが込められ、重箱に詰めて供えました。
「お年玉」は今では子供に現金を渡すことになりましたが、本来は年神様から新年に新しい魂「年魂(としだま)」を頂くことを指しました。
歳神様は鏡餅などのお供え餅に宿ると信じられたので、それを小分けにし、餅玉にしたものが「歳魂」で、家長は家族に「お年魂(お年玉)」として分けて配りました。
この「歳魂」を食べる料理が「お雑煮」となり、としのはじめの活力としておせちと共に頂くようになりました。
人日の日と七草粥
古来中国では7日を一つの節目としてきました。
1月元旦は鶏の日、2日は犬の日、3日は猪の日、4日は羊の日、5日は牛の日、6日は馬の日、そして7日が人の日としていました。
唐の時代の中国には、この人日の日の7日に七種菜羹という汁物を食べ、無病息災を願うという習わしがありました。
又、日本には古来より年のはじめに若菜を摘んで、自然の生命力を頂く若菜摘みという風習がありました。
唐から伝わった七種菜羹が、日本の若菜摘みと結びつき、室町時代以降、七草粥になったといわれています。
この七草粥に使われる春の七草は、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロです。
消化、整腸、利尿、解熱作用があり、ビタミンも豊富で風邪予防にもなる青菜が入った七草の粥は、 お正月のご馳走やお酒で疲れた胃腸に、最適な食事といえます。
無病息災を願った風習ですが、この時期に七草粥のような食事をするのは、まさに理にかなっています。
日本の歳時記には、昔の人の生活の知恵が随所に残っています。
鏡餅と鏡開き
日本では古来より、三種の神器の一つが鏡であり、神前に円形の鏡を祀っていました。
鏡餅は文字通り、その円い鏡の形を模したとも、心臓の形や円満な魂をかたどったともいわれています。
鏡餅は年神様の神霊が宿る聖なる供物でもあり、歯固めの祈りを込めた硬い供物でもあります。
日本人の命を支える米で搗かれた鏡餅は、年の暮れから正月飾りとして供えられ、新年を一家円満で迎えられる歳神様のかたしろでもありました。
その歳神様は、皆に歳玉という歳を与える神でもあり、新しい年の運気を授ける神でもありました。
鏡開きは、お正月に飾っておいて硬くなったその鏡餅を、かなづちなどで叩き開き、お雑煮やお汁粉などにして戴く日です。
鏡開きは元々1月20日が主流でしたが、江戸時代に徳川3代将軍家光がこの日に亡くなったので、同じ日にお祝いをすることを避け、現在のように1月11日に行うようになりました。
武家では具足開き、商家では蔵開きとも言われ、この日で正月は終わり、仕事始めの日とされました。
鏡開きでお雑煮やお汁粉などにして食される鏡餅は、新しい年を生きる生命力と運気を与えてくれる神聖で有難い食べ物といえます。
大正月と小正月
1月1日を大正月というのに対し、1月15日は小正月といいます。
古代の日本では月の満ち欠けを暦の基準とし、満月から次の満月までをひと月と考えました。
昔の人は満月をおめでたいものの象徴と考え、この日を月の初めとしたようです。
しかし、新月から新月をひと月とする新暦が公的な暦として採用された後は、1月1日が一年の初めとなり、 元日を大正月、十五日を小正月と呼ぶようになりました。
大正月の元日は、正月として定着していきますが、小正月も各地で様々な行事とともに残っています。
繭玉や餅花などをつくり、木の枝にさして飾ったり、道具の年越しとして農耕器具のミニチュアを作ったり、田植えの真似事をしたり、多くは農耕に纏わる豊作祈願の行事です。
粥占いや豆占いなど吉凶占いも、次年の実りを占うものです。
どんど焼き、左義長、など正月に使った縁起物を燃やす行事や、もぐら撃ち、鳥追い、キツネ狩り、などというものもあります。
これら本来は悪霊払いであったものが、今では無病息災や五穀豊穣を祈る行事と変化したものと考えられています。
又、小正月は、お嫁さんが里帰りしたり、正月に忙しく働いた女性たちをねぎらう時でもあり、女正月とも言われています。
ところで小正月の朝に、小豆粥をいただく豆粥をいただく風習があるところもありますが、なぜ普通の粥でなく、小豆粥なのでしょう?
小豆の赤には、魔除けや厄除けの意味合いがあり、1年間の邪気を祓うと考えられました。
又、小豆にはビタミンB1、B2などが含まれ、野菜不足の冬場、栄養補給になったはずです。
冬至のかぼちゃや柚子同様、昔の人は少しでも健やかに生きていくための知恵を駆使していたことがわかります。
年始の挨拶 年賀状
私の子供の頃は、元日のポストに年賀状が届くのが待ち遠しく、届くや否や取りに行き、こたつでほっこり暖まりながら、家族の宛名別に分けたものでした。
そして各々が自分宛の年賀状で、昨年中に親戚や友人知人に起こったこと、変わらず元気なことなどを知って安心したり喜んだりしたものでした。
年賀状は元々は年始の挨拶まわりで、それが時代の変遷につれて、簡略化されたものです。
おおよそ平安時代から明治時代にかけてまでは、お正月元日から十五日までに、主君や師匠、父母や親戚などお世話になった方々に、新年のご挨拶にまわる習慣がありました。
それが次第に簡便化され、新年のお祝いの書状に変わっていきました。
明治6年には郵便はがきが発行され、書状ははがきに変わり、年賀状を送る習慣が生まれました。
年賀状は本来は年が明けてからしたためたものでしたが、これも次第に旧年中に書いて元日に届くように投函するのが、礼儀正しいとされるようになりました。
身内に不幸があった場合は、喪に服すということで、一定の期間は祝い事を控えるため、年賀状は出さず旧年中に欠礼はがきを出すのが習わしです。
今はメールで「あけおめ♪」ですませてしまう人が増え、年賀状の数は年々歳々減っています。
でも、一年に一度でも、お互いの様子が伝えられる便りが年賀状です。
お正月のよき風物詩として、近況を知らせあう便りとして、送り合える相手がいるのもいいなと思います。
寒と寒の入り
一年で最も寒いこの時期を「寒」といいます。
二十四節気の中でも、寒さが一層厳しくなる小寒を「寒の入り」と言い、春が始まる立春を「寒の明け」と呼びます。
「小寒の氷、大寒に解く」という言葉があるように、寒の入りの方が寒いと感じる時もあります。
この時期に行われる行事には、「寒稽古」や「寒中水泳」などがあります。
これらの行事をわざわざ一年で一番寒いこの時期に行うのは、厳しい寒さに耐えることで、精神と身体を鍛える意味合いがあるのでしょう。
この時期の夜は凍えそうな寒さが続きますが、見上げた夜空に光る星の瞬きは、見とれてしまうほど美しい時期でもあります。
おうちで楽しむ睦月の風呂敷タペストリー
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