日本の衣食住
弥生
ひな人形の衣裳着
3月3日は、五節句の上巳の日で、月の一番はじめの巳の日。
古代中国では奇数が重なるのは忌日とされ、この日は厄災や穢れを払うために、青い草を踏み、酒を酌み交わし、川で身を清める儀式を行いました。
中国からこの儀式が伝わった頃、日本には身代わりの形代(かたしろ)に厄災や穢れを移し、海や川へ流す行事がありました。
これらが重なって、形代流しが流し雛の行事になり、雛祭り行事に変化して来たと考えられています。
そして雛人形は、平安時代のお姫様の人形遊びの人形から、次第に守り雛として飾られるようになります。
江戸時代には、立ち雛、座り雛、元禄雛、享保雛、と雛人形も変化し、豪華な段飾りや、宮中の装束を模した有職雛なども作られるようになりました。
今に残る代表的なひな人形には、「衣裳着人形」と「木目込人形」があり、約7割程度が衣裳着のお雛様だそうです。
衣裳着人形は、木や藁で作った胴体に手足と頭を付け、衣装を着せたもので、江戸時代初期に京都で生れたと言われています。
五代将軍綱吉の時代に京都から江戸に人形師が招かれ、江戸でも衣装人形が広まって行きました。
この衣装着人形の衣装着は、ほとんどが平安時代の宮廷装束を基に作られています。
お姫様の衣装着はほぼ十二単を模したもので、幾重にも衣を重ねて、袖や襟、裾などに襲(かさ)ね色目が現れるように作られています。
四季折々に移り変わる草木や自然の季節感を取り入れた襲ねの色目は、実に美しく沢山の組み合わせがあります。
お姫様の衣装着では、そのとりどりのグラデーションの美しさが楽しめます。
衣裳の生地も、柔らかさと光沢のある正絹、鮮やかな糸で織りあげられた西陣織、どっしりとした金襴地など、どれも宮廷文化を偲ばせてくれる上等な布が使われています。
ひな人形の中には、有職故実(ゆうそくこじつ)に基づいて公家の装束を忠実に模して作られた有職雛という雛人形があります。
これらの衣装は、公家の装束を忠実に模して作られ、実際の大人のものと変わりなく作られています。
有職雛に使われる生地の文様もその決まり事にのっとり、有職文様が使われており、雅な宮廷文化を垣間見ることが出来ます。
ひなまつりの白酒
ひなまつりの原型は、邪気をひとがたに移し川に流す「流し雛」が始まりとされています。
古代中国では、邪気を払う霊木である桃の花を浸した桃花酒は、薬酒としても飲まれていました。
邪気払いで相通じるため、上巳の節句は「桃の節句」とも呼ばれるようになり、日本でも室町時代頃までは、桃花酒を飲んでいたようです。
時代が下り、江戸時代に神田の「豊島屋」の初代十右衛門が白酒を考案し、これが江戸中の評判となり、江戸時代からは桃花酒の代わりに白酒を飲むようになりました。
白酒は、もち米、米麹とみりんを原料として用い、最後に石臼ですりつぶして作られた甘味が強いお酒です。
甘くて飲み口もよいので、女性にも飲みやすいので、定着して行ったようです。
ひな人形の雛道具
江戸時代には、大名家の姫君が輿入れする際には、実際の嫁入り道具をその通りに模したミニチュアの雛道具として作らせて、ひな人形と一緒に持たせたそうです。
一番華やかな七段飾りでは、一段目に雄雛と雌雛を飾り、後ろに屏風、真ん中に花を挿した瓶子を載せた三方、左右に雪洞を飾ります。
二段目には、それぞれ提子(ひさげ)、三方(又は島台)、長柄の銚子を持った三人官女を並べ、間に丸餅を載せた高坏を置きます。
三段目には、太鼓、大皮鼓(おおかわつづみ)、小鼓、笛、謡を担当する五人囃子を並べます。
四段目には、両端に随臣(随身)を並べ、中央にお膳揃と菱餅を置きます。
五段目には、台笠(又は箒)、沓台(又はちりとり)、立傘(又は熊手)を持った仕丁を並べ、左右には桜と橘を飾ります。
六段目には箪笥、長持、鏡台、針箱、火鉢、衣裳袋、茶道具という嫁入り道具を飾ります。
姫たちはこのミニチュアのお道具でままごと遊びをして、家のことを学んでいったということです。
七段目は婚礼の行列に使われる御駕篭、重箱、牛車を並べます。
段飾りの下に緋毛氈が敷かれるのは、緋色は生命力の象徴であり厄除け魔除けの意味もあり、人形や道具も引き立つためでしょう。
これら七段飾りの雛飾りには、平安の宮廷文化から伝わる伝統文化が脈々と引き継がれています。
現在の住宅事情で段飾りを飾るのは難しい場合もありますが、日本人が昔から大切にしてきた文化として、それぞれのひな飾りが楽しめるとよいですね。
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