和の暮らし
八月葉月
八月 葉月
八月の別名は「葉月(はづき)」。
真夏の濃い緑の葉が茂るから、と納得しそうですが、旧暦の八月は新暦では九月末から十月です。
この時期になると、緑一色だった木々の葉が、赤や黄色に染まっていく様から、「紅染月(べにそめつき)」、「木染月(こぞめつき)」、「濃染月」という別名もあります。
燕は去り、雁が飛んで来る渡り鳥の季節でもあり、「初帰月(はつきづき)」や「雁来月(かりきづき)」「燕去月(つばめさりづき)」という呼び名もあります。
又、稲穂が実る時期だから「穂張月(ほはりづき)」、月が美しく見える月だから「月見月(つきみづき)」という別名もあります。
この時期は、夏の暑さが去り、秋風が吹き始める頃でもあることから、「秋風月」という別名もあります。
「竹の春」という呼び名もあります。
竹と言えば筍で、春のイメージですが、筍が竹になり、新しい葉が出てくるのは旧暦のこの頃なので、「竹の春」という別名が生まれました。
ところで月夜で有名なのは十五夜ですが、それはこの旧暦の8月15日の月のことです。
一年で一番美しく見える月を愛でる月なので、「月見月」という名前もあります。
八月の名前には、木々の葉の色の変化や渡り鳥に由来した名、稲の穂や月の満ちかけなど、季節の移ろいに自然が変化していく様が、しっかりと反映されています。
立秋(りっしゅう)
立春や立秋の「立」は「始まる」という意味です。
二十四節気における秋は、立秋からはじまります。
立秋は秋の訪れ、秋の気配が感じられ始めるという時期です。
今の日本は、まだまだこれからが夏の盛りじゃないか、と言いたくなる時期ですが、暦の上では立秋から秋になります。
ですので、立秋からは夏の便りを書く際にも、「暑中見舞い」から「残暑見舞い」となります。
新暦では、8月7日頃から8月22日頃までです。
立秋の初候(新暦8月7日~11日頃)「涼風至る(りょうふういたる)」
ちょうどひと月前の7月初めは「小暑」の初候「温風至る」の時期。
風が暑さを運ぶ熱のこもったものであったのが、それからひと月経ち、ふと気が付くと、涼しい風に変わる頃。
まだ暑い盛りではありますが、それでも時折吹いてくる風が涼しく感じられると、本当にありがたく嬉しいもの。
それは実は静かに忍び寄る秋の最初の気配なのかもしれません。
立秋の次候(8月12日~16日頃)「寒蜩鳴く(ひぐらしなく)」
夏のはじめはミンミンゼミの「チ~ジ~」の声。
盛夏から9月上旬まではアブラゼミの「ジ~ジ~」、ミンミンゼミの「ミ~ンミンミン」。
ヒグラシはアブラゼミなど同時期に鳴くのですが、夕暮れに響く「カナカナ」という声は、何となく物悲しい夏の終わりを感じさせます。
立秋の末候(新暦8月17日~22日頃)「蒙霧升降す(のうむしょうこうす)」
見通せる距離が1キロ未満を「霧」といいます。
前日が晴れ、夜間に湿気が多いと、次の朝は霧が発生しやすいのだそうで、この時期は深い霧が立ち込めることがあるようです。
処暑(しょしょ)
「処」という漢字は、ひじ掛けに人が休んでいる様子から出来た字です。
「処暑」とは、文字通り、暑さが落ち着き休まるという意味です。
昼間はまだまだ日射しが強く暑さが続きますが、朝夕には次第に涼しさを感じるようになります。
内陸部では朝に露が降りるところもあり、陽が落ちてからは虫の音や風の音など、秋の気配がしのびよってきます。
山野には赤とんぼが飛びかいはじめ、萩をはじめ秋の花も咲き始めます。
この頃から本格的な台風が来始める頃でもあります。
新暦では、8月22日頃から9月6日頃までです。
処暑の初候(新暦8月22日~27日頃)「綿花開く(わたのはなしべひらく)」
綿の木は7月から8月に花を咲かせ、蒴果(さくか)と呼ばれる実をつけます。
その実を包む萼(がく)がはじけ開く時期で、中からは白いふわふわの綿花が現れます。
綿花の中にある種を出して綿毛だけにして紡ぐと綿糸が出来ます。
処暑の次候(8月28日~9月1日頃)「天地始めて粛し(てんちはじめてさむし)」
空も大地も大気も全てに、新しい季節の気が宿り始めるという意味です。
夏の気が収まり、朝夕だけでなく、昼間も爽やかな風を感じるようになります。
処暑の末候(9月2日~6日頃)「禾乃昇る(こくものすなわちみのる)」
禾とは稲などの穂先に生える毛のことですが、稲や麦、稗、栗など、穀物の総称でもあります。
田の稲が実り、穂先が色づき、重く垂れさがるといよいよ収穫の秋がやってきます。
お盆
お盆の正式名称は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」です。
インドのサンスクリット語の「ウラバンナ」が由来で、それを漢字で書き表したのが、「盂蘭盆会」で、なんと「逆さ吊り」という意味です。
なぜ「逆さづり」が今のお盆の行事になったのでしょうか?
それはお釈迦様の弟子の目連尊者の逸話によるといわれています。
目連は修行により、亡き母が餓鬼道に落ち、逆さ吊りの苦しみにあっていることを知ります。
目連はお釈迦様にどうしたら母を助けられるか尋ねました。
するとお釈迦様は目連に、夏の修行が終わる旧暦の七月十五日に修行を終えた僧侶を集め、ご馳走を振舞い、供養するよう教えます。
目連はお釈迦様の教えに従い、その通りにしたところ、母親は極楽往生を遂げることが出来たということです。
それから七月十五日は、父母や先祖を供養する大切な日となりました。
その「盂蘭盆会」が日本に伝わり、日本古来の祖霊信仰や農耕祭礼などと融合し、日本のお盆の風習となりました。
日本で行われるようになってから、お盆行事は旧暦の七月十五日前後で行っていましたが、 現在では一月遅れの八月十五日前後が一般的となっています。
この時期は地方によってまちまちです。
実は明治になって新暦が採用されましたが、新暦の七月十五日は農業では最も忙しい時期でした。
当時国民の八割を占めていた農家の人々にとって、お盆がこの日では都合が悪かったのです。
それで一月遅れで夏休みもとりやすかった八月十五日にした地域が多く、現在ではお盆を八月に行うところが多くなりました。
盆行事
代表的な「お盆行事」には、「迎え火・送り火」「精霊馬」「灯籠流し」「盆踊り」などがあります。
「迎え火・送り火」はお盆初日にご先祖様の霊を火や煙で迎え、お盆の最終日に同じく火や煙であの世に送り出す行事です。
「精霊馬」は、ナスやキュウリに割り箸を刺し、ご先祖様があの世とこの世を行き来するための馬や牛に見立て供えるものです。
「灯篭流し」は「精霊流し」ともいい、祖霊の魂を船や灯籠、提灯などに乗せ川や海に流す風習です。
迎え火・送り火
お盆の行事は、地域や宗派により様々ですが、多くはお盆の期間に家に祖霊を迎え、もてなし、送りだす、という行事を行います。
迎えの行事は、先祖や亡くなった人の霊が道に迷わず帰って来られるように、家の前に盆提灯を灯したり、庭先におがらを焚き迎え火としたりして、お迎えします。
お盆の最中は家に滞在してもらう祖霊のために、盆棚に果物や故人の好きだったものを供えておきます。
お盆の最後の夜には帰り道がわかるように送り火を焚き、祖霊にお帰りいただきます。
有名な京都の大文字焼きは、正式には「五山の送り火」といい、お迎えした祖霊をお送りする送り火です。
精霊流し・灯篭流し
灯篭流しは、魂を弔うために灯篭やお盆のお供え物を川に流す行事です。
精霊流しも灯篭流し同様、送り火の変化した形と考えられます。
精霊流しはお盆最終日に、祖霊にナスやきゅうりなどの供物、故人が好きだったものを精霊船に乗せて海や川に流します。
故人に供物を贈るためと、又これらを海や川に流すことで、けがれを流し清める意味もあるともいわれています。
精霊流しで有名なのは長崎県です。
初盆を迎えた故人の家族が精霊船をつくり、夕刻から町中を練り歩き、故人の霊を極楽浄土に送り出すのですが、実に派手でにぎやかです。
精霊船が通る際には、爆竹や鈴が鳴らされたり、「ドーイドーイ」という掛け声が掛けられ、夜には花火が上がります。
他の地域のしめやかなお盆行事と比べ、長崎の精霊流しは一見お祭りのようです。
この長崎の精霊流しは「中国の彩船流し」の影響を強く受けています。
爆竹が鳴らされるのも、中国の慣わしで、爆竹には魔除けの力があると考えられており、精霊船が通る道を清めるためなのだそうです。
ところで、8月15日は月遅れのお盆であり、又終戦記念日でもあります。
広島では8月6日の原爆記念日に灯篭流しをします。
祖霊を送る灯火を流す灯篭流しは、戦争で犠牲になった方々への慰霊と祈りも込められているのです。
今も残るお盆行事は、どれも亡き人を想い、その霊を大切に弔う気持ちから続けられています。
お盆と盆踊り
「盂蘭盆会」が日本に伝わり、日本古来の祖霊信仰や農耕祭礼などと融合し、日本のお盆の風習となりました。
今ではお盆に帰ってきてくださった祖霊を慰め、送り出す行事と言われていますが、その由来は諸説あります。
太古の大祓の遺風として、本来は年五回行われていた精霊会が、年月を経て夏の盆踊りと年末の大祓として残ったという説。
特定の場所日時に老若男女が集まり、共に飲食しながら歌を掛け合う歌垣が、踏歌という、集団で踊る男女の出会いの場としての民間行事となり、盆行事と融合したという説。
そして代表的なものとしては、平安時代、空也上人によって始められた踊念仏が、民間行事と習合し、念仏踊りとして盆行事となったという説などです。
それぞれどれもなるほどと思えるもので、その地域地域での風習や行事が、いつしか混ざり合い、現在の様々な盆踊りに受け継がれてきたのだと思います。
現在の日本三大盆踊りは、秋田の西馬音内の盆踊り、郡上踊り、阿波踊り、ですが、日本各地で様々な形で発展し、全国で500を超える盆踊りがあるそうです。
日本全国で行われる盆行事を北から見ていきましょう。
北海道では盆踊りが盛んで、ほとんどが第一部は子供向け、第二部は大人向けの二部制で開催されます。
大規模なものとしては、札幌市の「さっぽろ夏まつり北海盆踊り」、三笠市の「三笠北海盆おどり」、岩内町の「復活北海盆踊り」などがあります。
東北地方の岩手県盛岡市では、北上川に遺影や戒名などを書いた札を貼った船を浮かべ、火をともして供養する「舟っこ流し」という行事があり、最後は灯籠流しを行います。
盆踊りでは青森県黒石市の「黒石よされ」という流し踊り、秋田の三大盆踊り(一日市の盆踊り、毛馬内の盆踊り、西馬音内の盆踊り)、などが有名です。
関東では、茨城や千葉に広くまたがるお盆行事の一つとして、子供たちが藁綱を曳いてご先祖様の霊を送り迎えする「盆綱」という風習があります。
栃木市の「百八灯流し」は、百八本のろうそくを灯した舟を巴波川に往来させ、百八の煩悩を水に流す行事です。
東京の「佃の盆踊り」は、櫓太鼓の音に合わせて櫓の周りを踊る念仏踊りで、東京都の無形文化財に指定されています。
中部地方の静岡県浜松市では、太鼓の音に合わせ念仏踊りをして、新盆を迎えた家を回る「遠州念仏」という行事があります。
岐阜の郡上市八幡町の「郡上おどり」は、7月中旬から9月上旬まで続く日本一のロングランの盆踊りで、日本三大盆踊りや三大民謡にも選ばれています。
北陸側では富山市八尾町の「おわら風の盆」が有名で、現在は二百十日の風の厄日の風神鎮魂を願う祭りに変化しましたが、元々は盂蘭盆会に行われていました。
福井県や石川県などで行われる「御招霊(おしょうれい)」は、「迎え火」の一種で、男性数人でやっと持ち上げられる位の大きな松明をそれぞれが持ち、大きく振り回して練り歩く行事です。
近畿では京都の「大文字焼き」が有名で、正式には「五山の送り火」といい、これもお迎えした祖霊をお送りする送り火です。
奈良の高円山にも同様の「高円山大文字送り火」という行事があります。
中国地方では傘を出す盆踊りがあったり、太鼓と謡い手を中心に踊る白石踊りというのがあります。
四国では徳島県の「阿波踊り」が有名で、「四国三大祭り」、又「日本三大盆踊り」の一つとされています。
九州地方や、全国の川や海が近いところでは、送り火の一種として精霊流しが行われてきました。
長崎では県内各地で、盆提灯などを飾った精霊船に故人の精霊を乗せ、魂を弔って送るという「精霊流し」が行われます。
長崎の五島市では、掛と呼ばれる踊り手が帷子を身にまとい、腰蓑を付けて踊る「チャンココ踊り」という伝統的な念仏踊りがあります。
沖縄県の各地では、ご祖先様の霊を送迎すべく、若者達が囃子と唄に合わせて踊り、通りを練り歩く「エイサー」という行事が行われます。
石垣島には沖縄には仮面をつけた二人を先頭に民家を訪ね歌や踊りを披露する「アンガマ」があります。
その地方地方なりにどの行事も、お盆の時期にご先祖様を思い出し感謝する、供養の習わしです。
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やぐらの上の太鼓のリズムに、盆踊りが盛り上がります。
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