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和の暮らし
三月弥生

三月 弥生

3月の別名「弥生」という言葉の謂れは、「いや(弥)おい(生)、木草弥生い茂る(きくさいやおいしげる)、」から来ていると言われています。
実は旧暦の弥生の時期は、新暦の3月下旬から5月上旬で、春になり、植物が芽吹き、どんどん生い茂っていく時期です。
あまねく、いよいよ、ますますという意味の弥(いや)に、草木が生え茂るという意味の生(おい)を合わせた「弥生」は、まさにぴったり。
ものみなが目覚め、新しい命を躍動させ始めるのが「弥生」です。
弥生の他には、花月、花見月、桜月、春惜月、雛月、夢見月、など、どれも春の美しさに酔うかのごとき、ロマンティックな別名が沢山あります。
春の息吹は、人の心を甘く優しくほぐしてきたことがわかります。

啓蟄(けいちつ)

「啓」は「開く」、「蟄」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」ということで、啓蟄とはまさに土に籠っていた虫たちが陽気に誘われて動き出す頃。
新暦では、3月5日から19日頃です。

啓蟄の初候(新暦3月5日~9日頃)「蟄虫戸を啓く(すごもりのむしとをひらく)」

土に籠り眠っていた虫たちが目覚め、地上へ這い出して来る頃です。
虫をはじめ、生きとし生けるものが次第に活動を始めます。
わらびやぜんまいといった春の山菜、すみれをはじめとする春の草花も目覚めてきます。

啓蟄の次候(新暦3月10日~14日頃)「桃始めて笑う(ももはじめてわらう)」

春らしくなり、桃の花のつぼみがほころび開き始める頃です。
古の日本では花が開くことを「笑う」と言いました。
このような描写が出来る日本人の感性は、細やかな観察眼と表現力に満ちていますね。

啓蟄の末候(新暦3月15日~19日頃)「菜虫蝶と化す(なむしちょうとかす)」

菜っ葉を食べる虫が羽化し、蝶々に生まれ変わる頃です。
古代中国の思想家、荘子の説話「胡蝶の夢」から想起して、昔の人は蝶々を「夢虫」とか「夢見鳥」と呼んだそうです。

春分(しゅんぶん)

太陽が真東から出て真西に入り、秋分と同様、昼と夜の長さが同じになる日です。
万物が春の訪れに目覚め、活動をし始める節目の時といえます。
現在施行されている「国民の祝日に関する法律」では、「自然をたたえ生物をいつくしむ日」として、「春分の日」という祝日となっています。
新暦では3月20日頃から4月3日頃です。

春分の初候(新暦3月20日~24日頃)「雀始めて巣くう(すずめはじめてすくう)」

雀たちが生まれてくる雛のために巣作りを始める時期です。
雀は古来より日本人の生活の身近にいた鳥です。
しかし現在では、民家の屋根瓦の下など巣作りをする場所も減り、雀の数も減ってきているようです。

春分の次候(新暦3月25日~29日)「桜始めて開く(さくらはじめてひらく)」

その年の春、桜がはじめて咲く頃です。
日本では四季折々に美しい花が咲きますが、その中でも、桜はとりわけ人々に愛されてきました。
桜が花開く時を、今も昔も日本人は心待ちにしていたのですね。

春分の末候(新暦3月30日~4月3日頃)「雷乃声を発す(かみなりこえをはっす)」

春の雷を春雷(しゅんらい)と言います。
夏の雷と違い、春の雷は一鳴り、二鳴り、と短いものがほとんどです。
特に初めて鳴る春雷は初雷(はつらい)とも、虫出しの雷とも呼びます。

上巳の節供

中国の陰陽五行説に由来した、季節の節目となる日を五節句といいます。
上巳の節供はその五節句の二番目の上巳の日にあたります。
陰陽道では奇数は陽の数字であり、奇数が重なる五節句は、本来なら縁起のよい日ですが、奇数が重なると偶数が生まれ、偶数は陰の数字であるため、五節句は厄日とされ、穢れを払う日となりました。
古代中国では漢初より両漢を通して行われた行事であり、官民そろって水辺に出て体を清め、穢れを払ったそうです。
この穢れを払う行事が宮中では次第に洗練されていき、曲水の宴として、人工の流水に盃を浮べて酒を飲む宴に変わっていきました。

ひな祭り

古代中国の上巳の節供の邪気払い行事が日本に伝わった頃、日本には日本古来の禊(みそぎ)の思想がありました。
それらは次第に融合し、人の形をした人形(ひとがた)、又は形代(かたしろ)という名で、それらに厄災を移し、流す風習になっていきます。
この形代流しや人形流しの風習が残る神社もあり、源氏物語の須磨の巻には流し雛の記述があります。
この人形(ひとがた)は、平安時代の宮中の人形遊び「ひいな」遊びと次第に混ざり合い、ひな人形が生まれ、屋内に飾るように代わって行ったと言われています。
ひな人形は、江戸時代以降、宮中や武家だけでなく、庶民の間にも広まっていきます。
庶民の間でも豊かな財力を持つものが生まれ、ひな人形も次第に豪華になっていきます。
小さな「ひいな」であったひな人形はだんだん大きくなり、雛道具や雛飾りなどが増え、段飾りになり、上巳の節句は華やかな雛の祭りとなっていきます。
しかし、あまりに派手で豪華になっていったので、寛政の改革の際には、「8寸以上の人形は作ってはならぬ」という禁止令まで出されるほどでした。
現代では住宅事情もあり、段飾りを飾る家は少なくなりました。
しかし、時代や地域で形を変えながらも、今も女の子の節句として、ひな祭りは日本の年中行事として引き継がれています。

桃の節句

「灯りをつけましょ♪ぼんぼりに♪お花を上げましょ♪桃の花♪」と歌にもあるように、ひな祭りに、桃の節句ともいわれ、桃の花が飾られます。
中国では桃は邪気払いの力があり、子孫繁栄をもたらすともいわれる霊木とされ、その実は不老長寿の薬とも考えられていました。
ですので、桃の節句だけでなく、節分の鬼やらいで鬼をはらう剣も、鬼を射る弓も矢も、桃の木や枝で作られます。
濃い桃色の花が愛らしく美しいというだけでなく、これらの故事からもひな祭りには好んで飾られてきたのです。

ひな人形と雛飾り

ひな人形は形代(かたしろ)流し、人形(ひとがた)流しが宮中の「ひいな」遊びと重なり合い、今の形のような人形になったと言われています。
江戸時代になると、宮中や武家だけでなく、庶民の間にもひな人形を飾る風習が広がりました。
当初は小さな「ひいな」であったひな人形は、次第に大きくなり、道具や人形が増え、段飾りになっていきます。
あまりに大きく派手になって、豪華を競うようになり、何度も禁止令が出たほどでした。
代表的なひな人形には、仕立てた着物を着せつけた衣裳着人形と、型の溝に沿って裂を張り込んだ木目込人形の二種類があります。
飾り方には、最上段の男女一対の人形となる親王を飾る親王飾り、人形が15体揃った七段飾り、親王に三人官女を加えた五人飾り、などがあります。
又、京雛は、京頭といわれるお公家さん風なおっとりした顔立ちですが、関東雛の頭ははっきりした目鼻立ちが多いようです。
雛人形や雛道具には、標準的な飾り方がありますが、実は地域や時代によって、並べ方が違っています。
関東と京都を中心とした関西では、内裏雛の置き方が、関東とは逆になっていることが多いのです。
関東では向かって左に男雛、右に女雛ですが、京都では向かって右が男雛、左が女雛となっています。
置き方が逆になっているのは、「帝」と「妃」の位置の定めが、時代で変化したからです。
日本には中国から入った「天帝は北辰に座して南面す」の思想から、左方上位の考えが取り入れられました。
そのため、元々は男雛は向かって右、左が女雛で並べられていました。
しかし、明治になって、西洋の右が男性、左が女性のプロトコールが取り入れられ、それに倣い、天皇陛下皇后陛下も、そのようにお立ちになられるようになられたようです。
その時期は、大正天皇の即位式であったとか、昭和天皇の即位式の写真が新聞に掲載されてから、一気に全国に広がったとか、諸説あります。
ともかくも天皇皇后両陛下の並ばれ方が逆に変わられて以降、全国的に内裏雛の並び方も、それに倣うようになりました。
しかし、京都をはじめ関西では、今も昔からの並びのままで並べられることが多いようです。
京都や関西は昔のルールのまま、関東は今のルールに従っていますから、どちらが正しくてどちらが間違っているとは言えません。
地域や習わしなどによっても異なりますし、謂れや言い伝えもその土地や家庭によって違います。
標準的な飾り方に加え、そのおうちごとの飾り方で飾り、こどもさんたちの健やかな成長を祝い祈ればよいと思います。

春分と秋分と彼岸

地球の赤道を延長した天の赤道と、太陽の黄道がちょうど交差したところが、黄経0度です。
春分は、太陽がこの黄経0度に達した時のことで、昼と夜の時間がほぼ同じになる日です。
大体毎年3月21日頃で、今年2021年は3月20日、二十四節気では、啓蟄と清明の期間です。
ところで、春分と秋分の三日前から七日間は、春の彼岸、秋の彼岸とされています。
彼岸の期間の最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」、真ん中にあたる春分・秋分を「彼岸の中日」といいます。
なぜ春の春分と秋の秋分あたりに、この日本独自の彼岸の風習が生まれたのでしょうか?
元々日本には古来から、春には豊作を願い秋には収穫への感謝をする自然信仰がありました。
仏教では、我々が住む世界をこちら側の岸で「此岸(しがん)」、三途の川を挟んでご先祖様の住む世界をあちら側の岸で「彼岸」と呼びます。
極楽浄土は西の彼方にあるとされていることから、太陽が真西に沈む春分と秋分にご先祖様の供養をする日本独自の風習が生まれたのでした。
祖霊や自然の神々に対する感謝の念と信仰は、いつしか仏教の教えと結びつき、お彼岸行事として人々の間に広まっていったのだろうと推察されます。
季節の節目の「春分」と「秋分」の前後に、ご先祖様に感謝する「お彼岸」があることは、大いなる自然の中で生かされていることへの気づきを与えてくれています。

おはぎとぼたもち

お彼岸につきもののおはぎですが、おはぎはぼたもちとも呼びます。
漢字で書くと「牡丹餅」で、これは春の彼岸の頃に咲く牡丹の花に因んでいます。
おはぎは漢字で書くと「お萩」で、秋の彼岸の頃に咲く萩の花に因んだ名です。
今は季節での呼び分けは少なくなったようですが、昔は春は漉しあん、秋は粒あん、という違いはあったようです。
秋の小豆は収穫したてで柔らかいので、粒ごといただけるから、粒あんに向いています。
粒あんの形状が小さな萩の花に似ているので、粒あんで包んだ餅は「お萩」と名付けられたと思われます。
秋の小豆と違い、年越しした春の小豆は皮が堅くなるので漉しあんにした方が皮が気になりません。
秋は萩の花に例えた為、春もその季節の花になぞらえてでしょう。
形状は似ていないけれど、漉し餡で包んだ餅は、春に美しく咲き誇る牡丹の名を取り、「ぼたもち」と名付けられたのだと思います。
彼岸の甘味の名前にも花を見立てるというのも、まさに日本人の感性ですね。

おうちで楽しむ風呂敷雛

「鬼滅の刃柄でお内裏様おひな様」

今年は鬼滅の刃に因み、お内裏様は炭治郎の市松文様、おひな様は禰豆子の麻の葉文様の小風呂敷をお着物に来てもらいました♪

京都のお雛様(右お内裏様、左おひな様りの風呂敷のタペストリー

関東のお雛様(右おひな様、左お内裏様)飾りのふろしきタペストリー


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つつみ純子
お茶の水女子大学卒/風呂敷文化研究家/和文化コンシェルジュ/エコ・クッキング・ナビゲーター/福祉住環境コーディネーター2級/NPO法人徳育と人間力育成研究所アドバイザー
「日本の伝統文化を身近に再発見する」をキーワードに、風呂敷を通して、日本人の知恵や文化をお伝えしています。
又、日本古来の「年中行事」や「四季のしつらい」、「伝統食育」など、日本の生活文化を伝える講演やワークショップも展開しております。
2011年には国際交流基金からポーランド・グルジア等に派遣され、文化交流事業の風呂敷講師として、大学・政府関係機関などで風呂敷講座を行いました。
国内のみならず海外の方々へも、風呂敷を通して日本文化と日本の心をお伝えして参りたいと思い、 オリジナル風呂敷「ふろしきぶる風呂敷」と「つつみフロシキブック」を製作しました。
2020年東京オリンピックでは「大江戸オリンピックは風呂敷でおもてなし」を提唱しています。
また研究し纏めてきた「ふろしき学」が、2015年より都立で単位認定のある授業に採用され、実施しております。
学校教育の中でも、ふろしき文化をこどもたちに伝えていきたいと思っています。
「ふろしきぶる風呂敷」を活用した風呂敷文化の普及及び販売が、東京都中小企業振興公社の支援を受けることになりました。


□URL http://www.furoshikible.com/
□blog http://ameblo.jp/11264ki/
□Facebook https://www.facebook.com/junko.tsutsumi.332


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