師走の和の住まい
人と火
人が最初に手にした火は、落雷や火山の噴火、溶岩などが木を燃やして出来た、自然火災によってもたらされたものだと言われています。
古代の人々にとって、火は夜の闇を明るく照らす光であり、寒さから身を守ってくれる暖かい熱をくれるものでした。
人がまだ自ら火を起こすことが出来なかった時代は、火種を絶やさぬように番をして、大切に守り続けました。
火を起こすことが出来るものの総称を「炉」と呼びますが、旧石器時代には、人は火を起こすことが出来るようになり、その「炉」を持つようになります。
新石器時代になると、土器を使って煮炊きをするようになります。
それまでは竪穴式住居の中央に「炉」を作っていたものが、次第に煮炊きが出来るような「かまど」を使うようになります。
「炉」でも「かまど」でも、火は、人の家の中で、なくてはならぬものでした。
かまどと囲炉裏
「かまど」は、竪穴住居の壁に掘り込みを作り、粘土などを土饅頭のように盛り上げ、上にお鍋や釜を載せ、煮炊きが出来るようにしたものです。
元々は煙や熱を逃がすのに、屋外にあったのですが、次第に屋内の土間に作られるようになります。
「かまど」は地域によって、「くど」「おくどさん」「へっつい」などと呼ばれ、火の神を祀る場所でもありました。
日本では、古墳時代から長く使われ続け、第二次世界大戦までは、一般的に使われて来ました。
ただ、日本全国で「かまど」が一般的かといえば、地域で違いがあり、江戸時代以降には、東日本地域ではかまどでなく、「囲炉裏」が多く使われていたようです。
「かまど」と「囲炉裏」のどちらを使うかは、ほぼ北緯36度辺りから北が「囲炉裏圏」、南方が「かまど圏」だったそうで、その境目あたりの地域では、「囲炉裏」のみ、「かまど」のみ、又は両方を兼ね備えた家が混在していたようです。
「かまど」は基本、煮炊きが目的で作られたので、家の端にありました。
それに対し、「囲炉裏」は、調理だけでなく、暖房器具としても、照明としても使えるため、多くの場合、居間の中央に作られました。
緯度が高い東日本は、西日本より気温が低く日照も短いので、「かまど」より「囲炉裏」を使うことで、暖や照明を取ることが出来たのでしょう。
又、当時は西日本では「強飯(こわいい)」を、東日本では雑穀のお粥などを主として食べていたようです。
強飯は、「かまど」を使って作るのが向いており、お粥は「囲炉裏」に掛けたお鍋のように横に広がった調理器具で作るのが向いています。
主食の調理からも、東日本は「かまど」より「囲炉裏」が多用されてきた理由が分かります。
南北に長い日本では、住む地域の気候風土により、人々は「かまど」か「囲炉裏」を選び、その「火」と共に命を育んできたのです。
師走のふろしき 正倉院裂双鳳凰柄
今月は「火」にまつわる「かまど」と「囲炉裏」について書きました。
「かまど」には火の神が祀られていたこともあり、「火」繋がりで、「火の鳥」とも言われる、鳳凰柄をご紹介します。
師走のまちかど風呂敷 風呂敷米袋ラッピング
「かまど」も「囲炉裏」も、日本人の主食である「米」を煮炊きしたところ。
そんなお米をイベントで商品にしたいので、風呂敷で袋を包んで欲しいと依頼されたのが、こちら。
日本人の命を繋いできてくれたお米ですので、大切に包ませて頂きました。