源氏物語の頃の衣食住―6
源氏物語の色―六条御息所の漆黒
六条御息所は前の東宮の后だった人で、身分も美貌も教養も申し分のない女性でした。
美しく気品があり、賢く見識も高く、洗練されたセンスの持ち主の六条御息所のもとには、若く知的な公達が集い、雅なサロンが出来ていました。
光源氏はその評判を聞いて六条御息所に惹かれ、積極的にアプローチをし続けます。
しかし当初、六条御息所は光源氏を受け入れませんでした。
なぜなら、光源氏は7歳も年下で、既に葵の上とも結婚しているにも関わらず、あちこちで浮名を流すプレイボーイとしても名をはせていましたから。
それでも若く美しく全てに秀でる当代一のいい男の光源氏に熱心に通い詰められ、ついに六条御息所は光源氏を受け入れてしまいます。
しかし、光源氏が通ってくるようになっても、六条御息所はなぜか堅苦しい対応しかできません。
実は、ひとたび光源氏を受け入れた六条御息所は、次第に光源氏を深く愛するようになってしまうのです。
けれどもプライドの高い六条御息所には、自分が7歳も年上であることが引け目に感じている上に、既に葵の上という正妻がいる光源氏の愛人という立場は、素直に受け入れることが出来なかったのかもしれません。
光源氏は六条御息所のそんな態度が重苦しく感じられ、次第に通わなくなってしまいます。
六条御息所は愛する光源氏が通って来なくなったことに悲しみますが、プライドの高さから表には出せず、心の内で苦しみ煩悶する日々を送ります。
その抑圧された苦悩は六条御息所の心の奥で次第に大きくなり、彼女の魂を生霊に変えてしまいます。
最初は光源氏の恋人のひとりの夕顔にとりついて、夕顔の息を止めてしまいます。
次にとりついたのは、光源氏の正妻の葵の上でした。
光源氏が連なる葵祭の行列の見物に行った際、妊娠中の葵の上と六条御息所の牛車が場所取りで諍いとなり、葵の上の従者が六条御息所の車を壊してしまいます。
この出来事は誇り高い六条御息所の心を深く傷つけ、彼女は毎夜のように葵の上への憎悪や嫉妬に悩まされるようになります。
六条御息所のこの煩悶は、次第に生霊と変化し、葵の上にとりついてしまいますが、偶然にもその生霊の声を光源氏は聞いてしまいます。
苦しみながらもかろうじて葵の上は男子を産み落とすのですが、その後、急死してしまうのです。
六条御息所はあることで自らが生霊となり起こしたことを知り、光源氏と離れることを決意します。
そして、斎王となる娘と共に都を離れ、伊勢に下っていくのです。
のちに伊勢から都に戻って間もなく、六条御息所は亡くなるのですが、のちには死霊となって、光源氏の最愛の紫の上にもとりつく様が源氏物語には描かれています。
このように書くと、六条御息所は生霊死霊になって恋敵を呪った、実に恐ろしい嫉妬深い女性に思われます。
しかし、その生霊死霊は本当に六条御息所のものだったのでしょうか?
夕顔にとりついた物の怪は、六条御息所の生霊という説と逢引場所の廃院のものという二説がありますし、その物の怪を見たのは光源氏だけです。
葵の上にとりついた御息所の声も、光源氏にしか聞えなかったことを思うと、葵の上に冷淡にしていた疚しさから、光源氏が生霊の主を六条御息所のものだと思い込んだとも考えられるのではないでしょうか。
源氏物語に登場する女性の中でも、六条御息所はとりわけ雅で美しく、教養があり身分も高く、気品とセンスに溢れた理知的な女性として描かれています。
そんな六条御息所でも、光源氏との恋に溺れ、つれない仕打ちに泣き濡れ、嫉妬の炎を燃やし、愛執の葛藤に苦しみ、ついには心の鬼が生霊とまでなってしまう。
苦しい恋愛の深遠な淵を見下ろすと、六条御息所と同様に、誰の心の奥底にも漆黒の鬼が棲んでいるのかもしません。
紫式部は、人を深く愛すれば愛するほど生まれる悩み苦しみを、六条御息所の生きざまを通して伝えてくれているように思えてなりません。
紫式部集には、以下のような和歌が詠まれています。
「亡き人にかごとをかけてわづらふも おのが心の鬼にやはあらぬ」(後妻に物の怪がついたのを亡くなった人(=前妻)のせいにしてあれこれ悩むというのは 自分(=夫)の心が鬼だからでしょう)(紫式部集)
源氏物語の頃の食―平安時代の肉食
平安時代、仏教の影響で肉食は禁じられていたと言われていますが、実は熱心な仏教徒以外は肉も食べていたようです。
平安時代中期の律令の細則をまとめた延喜式には、当時の貢物についても記してあり、雉の干し肉のほか、猪や鹿の干し肉などが各地から運ばれ、それらを貴族たちが食べていたと書いてあります。
雉、猪、鹿だけでなく、山鳥、鳩、雀などの鳥や、熊、狸、狐なども食していたようです。
干し肉だけでなく、鮒ずしのように鹿や猪などの肉で作った熟れずしや肉醤、そして、牛乳や牛乳を使った酪(らく)や蘇(そ)などの乳製品も献上されていました。
このように、平安時代の貴族の食卓は、肉や乳製品も並ぶなかなか豊かなものだったようです。
源氏物語の頃の住まい―須磨と住吉と明石
光源氏は、兄である朱雀帝が寵愛する朧月夜内侍との逢瀬を、彼女の父で政敵の右大臣に見咎められ失脚し、自ら都から「須磨」に隠棲します。
須磨の光源氏の侘び住まいは、岸からは少し奥の、身にしみるような寂しい山の中でした。
当時の須磨は、在原業平の兄、行平中納言が「藻塩たれつつ」と詠んだ、塩を焼く海人くらいしか住まない寂しい地でした。
「わくらばにとふ人あらば須磨の浦に 藻塩たれつゝわぶとこたへよ」(たまさかに私の事を聞いてくる人があれば、須磨の浜辺で塩でも作りながら塩垂れて(=しょんぼりして)いるよと答えておくれ) 在原行平
光源氏が須磨で暮らしてちょうど一年が経とうとする頃、暴風雨が続き、高波や雷などに遭い、光源氏は疲れ果てて夢を見ます。
その夢の中で、亡き父桐壺院から「住吉の神」のお導きで須磨から立ち去るようにと告げられます。
住吉の神は、光源氏が須磨で暴風雨に遭い、高潮に襲われそうになった時、大願を立てそのご加護で助けられた神様です。
翌朝、その「住吉の神」のお告げを受けたと、明石の入道が舟で光源氏を須磨に迎えに来て、光源氏を「明石」へといざないます。
この明石の入道は、元々娘を高貴な人と結婚させたいと願い、年に二度、住吉神社に娘を参詣させていました。
明石の入道の館は海辺にあり、四季折々の風情が楽しめる豪華な館で、彼の娘は浜のこの館ではなく、岡の上にある館に住んでいました。
明石の入道の浜の館で過ごすうち、光源氏はある夕月夜の風景を見て、心穏やかになって歌を詠み、琴をかき鳴らし始めます。
光源氏の琴の音色を聴き、明石の入道は琵琶を弾き、二人は音楽の話をしているうちに、明石の入道の娘の話になります。
それがきっかけとなって、光源氏と明石の入道の娘は結ばれ、二人の間には女の子が生まれるることになるのです。
光源氏がのちに都に呼び寄せるこの娘は、光源氏と紫の上の養女になり、のちに明石の中宮となるのです。
風呂敷すいか包み
風呂敷があれば、エコバッグや紙袋を持っていなくても安心です。
一番簡単で沢山入る風呂敷エコバッグは、隣合う端と端を真結びするのを両側ですれば出来あがりです。
そのエコバッグの中身が、ボールやすいかのように丸いものや動かない方がよい場合は、片方の持ち手をもう片方の持ち手に通すと、中身が安定します。
これをすいか包みといいます。
1分で出来る「ふふふふろしき~すいか包み」すいか包み」
ふ、ふ、ふ、ふ、ふろしき!
つつんで、むすんで、おでかけ!フー!
ごろごろ 動く 中身は
すいか包みで ばっちり
こちらの持ち手に あちらを通す
大きな スイカを おみやげ!
ふ、ふ、ふ、ふ、ふろしき!
つつんで むすんで おでかけ!
なんでもできる おどろき!
フロシキブルに ふろしき!フー!