日本の衣食住
師走
針供養
12月8日や2月8の事八日(ことようか)には「針供養」という行事が行われてきたのですが、ご存じでしょうか?
針供養とは、古くなった針や折れた針を豆腐やこんにゃくなど柔らかいものにさして、神社へ奉納や供養をする行事です。
「針仕事」とは針で衣服などを縫う仕事です。
針仕事は女性にとって重要な仕事でしたから、母親やお針の師匠に習い、身に付けました。
嫁いで一家の主婦になると、家族全員の着物を縫い、ほつれや破れを繕ったり、サイズが変わるたびに仕立て直したりせねばなりません。
洗う場合も単は丸洗いでしたが、袷や絹物、綿入れなどは、一度ほどいて布にして洗う洗い張りをせねばならず、元通りにするには又縫い直す必要がありました。
庶民の着物は3、4枚程度だったようで、更衣の度に針仕事で着回せるようにしました。
寒い冬には袷の表と裏の生地の間に綿を入れて「綿入れ」にし、春になるとその綿を抜き「袷」にしました。
夏には「袷」をほどき、表地と裏地で2枚の「単」にし、秋になると、その2枚を合わせて縫って「袷」にしました。
着物だけでなく襦袢や羽織など沢山の縫物があったので、針は必需品であり消耗品でもありました。
沢山の衣類を縫ってくれた針たちも、次第に曲がったり折れたり錆びたりしてきます。
これらの針を労い供養する行事を「針供養」といいます。
使い終わった針は、豆腐やこんにゃく、餅などに刺して、川へ流したり神社やお寺に持ち寄って、供養してもらいました。
この風習は中国にあった「社日(土地神の祭日)に針線(針と糸、針仕事)を止む」という古い習慣が、日本に伝わって始まったといわれています。
いつ伝来したかは定かではありませんが、平安時代に清和天皇により針供養のお堂が法輪寺に建立されたそうで、 9世紀後半には日本にあったと考えられています。
ともかくも折れた針や曲がった針は、よく頑張ってくれた働き者。
柔らかいものに刺して供養したのは、それまでの頑張りを労い、ゆっくり休んでもらおうとする優しさとねぎらいが込められています。
こんな風に日本の人々は、無生物の針にも命があると考え、生前の働きに感謝して供養してきました。
資源やものが足りないから大切に使うというだけでなく、己を取り巻くすべてのものに感謝と祈りを込めて生きた、日本人の思いが、この行事にも秘められています。
年越しそば
年越しそばとは、大晦日(12月31日)に縁起を担いで食べる蕎麦です。
日本各地に地域の特色ある蕎麦があり、その呼び名も晦日蕎麦、大年そば、つごもり蕎麦、年取り蕎麦、縁切り蕎麦、寿命蕎麦、など沢山あります。
江戸時代には定着していたようで、1756年(宝暦6年)の『眉斧日録』には「闇をこねるか大年の蕎麦」の記述があり、1814年(文化11年)刊行の「大坂繁花風土記」には、以下のような記述があります。
十二月三十一日 晦日そばとて、皆々そば切をくろふ。当月節分、年越蕎麦とて食す。— 『大坂繁花風土記』
なぜ蕎麦を年越しに食べるかについては、諸説あります。
蕎麦は他の麺類よりも切れやすいことから「今年一年の災厄を断ち切る」ことが出来るからという説。
蕎麦は細く長いことから延命・長寿を願うという説。
金銀細工師が金箔を延ばす為にそば粉を用いたことから、富貴の縁起物であるとする説。
蕎麦が五臓の毒を取るので元気になるという説。
蕎麦と側(そば)とを掛け、一年の締めくくりの大晦日に家族の縁が続くことを願うとの説。
どの説も、人びとの新しい年への祈りと願いが込められています。
日本各地で呼び方や食べ方の違いがあるものの、年越しに蕎麦を食べる風習は江戸時代から今に引き継がれています。
正月事始
事始(ことはじめ)というのは、ものごとの始まり、新しい仕事を始めることです。
正月事始(しょうがつことはじめ)というのは、お正月を迎える準備を始めることです。
江戸時代になって、12月13日が鬼宿日で大吉日であることから、正月事始の日になりました。
この日から、お正月の年神様をお迎えする準備をはじめます。
まずは煤払い、それから門松や注連縄飾りを用意し、そして餅つきをして鏡餅をお供えするなど始めていきます。
煤払い(すすはらい)は、単なる大掃除ではありません。
年神様を迎えるための神聖な行事として、かまどをはじめ、家の隅々まで煤払いで家を清らにします。
煤払いを済ませたら、門松用の松やおせちなどの煮焚き用の薪を恵方の山に取りに行きました。
これを「松迎え」といいます。
門松は新年に年神様が降りてくるときの目印で、年神様のよりしろと考えられ、門松をたてることは欠かせないことでした。
常緑の松は神が宿る木と考えられ、後に竹も長寿を招く縁起ものとして添えらるようになりました。
門松は玄関前に左右に飾り、向かって左側を雄松、右側を雌松と呼びます。
門松とともに玄関に飾るのが、注連縄飾りです。
注連縄飾りは清浄・神聖の印で、年神様を迎えるために清められた場所であることを示しています。
昔は神社と同ように、注連縄を張ったものでしたが、次第に簡略化され、現在では注連縄飾りや輪飾りが使われるようになりました。
ごぼう締め、だいこん締め、輪飾りなど、全国各地にそれぞれの風土や生活に根付いた様々な形の注連縄飾りがあります。
この注連縄飾りは全て、稲の籾を取り去った藁で作られてきました。
稲は日本人の命を育んできた神様からの賜りもの。
神の力が宿る神聖なものの一部である藁で綯う注連縄飾りには、特別な力が宿ると考え、年神様をお迎えする印としたのです。
家の中にお迎えした年神様の依り代(よりしろ)としては鏡餅を飾ります。
古来より餅は稲の実りの象徴で、神の霊力が宿ったものと考えられ、祭祀や祭り、祝いごとに欠かせないものでした。
鏡餅をお供えするために餅つきをして、年神様をお迎えする場所に供えます。
ところで何故、この餅は丸い形で、鏡餅と呼ぶのでしょう?
鏡餅の丸い形は、三種の神器でもあり神事に使う鏡の形と同じにしたとも、人の魂をかたどったものとも、伝えられています。
また、お飾りに大小二つの餅を重ねるのは、陰と陽、月と太陽、を表し、福徳が重なり、縁起がよくなるようにという願いが込められています。
これら正月行事は、元々は年男が率先してするものでした。
年男といってもその干支に生まれた男性ではなく、昔はその家の家長のことでした。
ただ、大変な作業なので、家長から若い男性や使用人が年男の役割を担うようになりました。
現在では、門松も注連縄も鏡餅も、自宅でつくり準備する家庭は少ないのではないでしょうか。
現代の煤払いである大掃除も、お正月のおせちも外注する家庭が増えています。
忙しい毎日ではありますが、正月事始のいくつかでも出来る範囲でやってみると、年神様を清々しい気持ちでお迎え出来るかもしれませんよ。
現代の煤払いの大掃除に風呂敷ターバン
煤払いや大掃除の時、出来れば埃や汚れがなるべく体に付かない方がよいですね。
服はエプロンで予防して、手には軍手をしたら、心置きなく掃除ができます。
頭の髪は二巾風呂敷なら捻じって、大判風呂敷ならぐるぐる巻いて、風呂敷ターバンにすると埃避けになりますよ。