にほんのくらし 如月
如月の兆し 「春隣」
「春隣」 はるとなりとよみます。
まだまだ寒さが厳しいけれど、それでも春が隣まで来ている、という意味です。
同じような意味の言葉には、「春待つ」「春近し」「春間近」などがあります。
どれも晩冬の季語で、「春待つ」は文字通り、主観的に春を待つ気持ちでしょうか。
「春近し」や「春間近」は春が近くに来ているのを何かしらで感じることが出来たのでしょう。
どの言葉も寒く厳しい冬が終わり、暖かく明るい春がやってくるのを、心から待ちわびる思いに溢れています。
「春隣」になると、もうちょっとで立春で、春はもうお隣さん、生きとし生けるものが動き出す春の兆しに溢れる言葉です。
如月の行事 「節分と立春」
節分というと冬の時期の節分だけだと思っておられる方も多いですが、本来は季節の変わり目である立春、立夏、立秋、立冬、これら全てが節分とされていました。
その中で、いつからか旧暦で一年のはじめとなる立春に重きが置かれるようになり、その前の日だけが、節分と呼ばれるようになりました。
古来、季節の変わり目には邪気が生ずると考えられ、平安時代から宮中では、この邪気を鬼として払う意の「鬼やらい」の儀式、「追儺(ついな)式」という行事を催しました。
宮中行事の追儺式は、方相氏(ほうそうし)と呼ばれる鬼を払う役目の役人と、方相氏の脇に仕える侲子(しんし)と呼ばれる役人が、大内裏の中を掛け声をかけて回るものでした。
次第にこの追儺式が、旧年中の厄を祓う行事として、庶民に伝わっていきます。
庶民行事になると、鬼やらいの儀式は「鬼は外。福は内。」といいながら、豆を投げつけて鬼を追い払う行事、豆まきに変化して行きました。
豆まきの由来としては、京の都に降りて来て悪さをする鞍馬の鬼を、炒った豆で鬼の目をつぶし退治した、という故事があったり、豆(まめ)は「魔の目を打つ」、「魔を滅する」に通じるからという説が伝えられています。
この節分のように、新しい季節や行事の前は、新たな気持ちで健やかに過ごせるように願う行事が行われました。
まだ寒さは厳しいですが、立春は節分で邪気や穢れを祓い、新しい年を迎える清々しい日なのです。
如月の和菓子 「うぐいす餅」
うぐいす餅は、餡子を包んだ求肥の両端をつまんで小鳥のような形にし、青きな粉をまぶして、鶯の姿や羽の色を表わした和菓子です。
天正年間、豊臣秀長が兄の豊臣秀吉を招いた茶会を開く際、御用菓子司の菊屋治兵衛に命じて作らせ献上させたのが、この和菓子。
秀吉はいたくこの和菓子を気に入り、「この餅をうぐいす餅と名付けよ」と菓銘を下賜したと言われています。
ところで、花札の二月の札は「梅に鶯(ウグイス)」です。
この鳥はウグイスではなくメジロだというメジロ説もありますが、古来より「梅に鶯」は絵になるとりあわせということです。
じっと寒さに耐えて花を咲かせた赤い梅の花の枝に、淡い優しい鶯色のウグイスが止まり、「ホーホケキョ」と鳴く様子を、うぐいす餅を食べながら見聞きする。
そんな趣深い風情を体験できるのも、二月如月の愉しみです。
如月の風呂敷の俳句
「風呂敷を使はずなりぬ梅の花」 星野麥丘人
俳句では梅の花は「春」、それも「初春」や「早春」に使われる季語です。
梅はまだ幸や寒気が残る早春に、他の花に先駆けて開花し始めるので、「花の兄」とも呼ばれます。
「初春」は旧暦の一月で、新暦でいうところの二月から三月に当たります。
その為、梅の花は「春」の季語ですが、2月頃から使えます。
厳寒の中でいち早く花開き、品の良い香りであたりを包む梅は、古来より愛されて多くの和歌や俳句に詠まれています。
梅の花が咲き始める頃になると、あれほど使っていた風呂敷も使わなくてもよいようになったのでしょうか。
その人のくらしに風呂敷はどんな風に使われてきたのか、色々な想像が出来る俳句です。
如月のふろしきYoutube
2020年7月1日からレジ袋有料化が始まりました。
風呂敷で簡単便利にエコバッグが出来ます。
すいかやボールなど丸いものや不定形なものも、すいか包みなら、中身が動かず安心です。
風呂敷エコバッグが出来たら、あと一手間で、すいか包みの出来上がりです。
1分で出来る風呂敷包み 「ふ、ふ、ふ、ふ、ふろしき~すいか包み~」
ふ、ふ、ふ、ふ、ふろしき!
つつんで、むすんで、おでかけ!(フー!)
ごろごろ 動く 中身は
すいか包みで ばっちり
こちらの持ち手に あちらを通す
大きな スイカを おみやげ!
ふ、ふ、ふ、ふ、ふろしき!
つつんで むすんで おでかけ!
なんでもできる おどろき!
フロシキブルに ふろしき!(フー!)