長月の和くらし
月の名前 長月
九月の別名で一番使われるのは、「長月(ながつき)」ですが、長月の「長」とは何が長いのでしょうか?
旧暦の九月は、新暦では十月上旬から十一月上旬あたりになります。
現在の日本では秋の深まる季節で、「秋の夜長」という言葉があるように、夜がだんだん長くなる時期です。
そんな季節を人々は「夜長月」と呼んでいたのですが、次第にそれが短い略称になり、「長月」になったというのが有力です。
国文学者の折口信夫によると、九月は五月同様、長雨が続く時期で、「ながめ」という物忌の月と考えられていたそうです。
その「なが」という呼び名から、「長月」となったという説もあります。
他には稲刈月、穂長月、穂刈月のように、稲が実り、稲穂を刈る時期を表す月名もあります。
この頃は秋の花、菊の盛りの時期でもあり、菊月、菊開月、など菊の名前が付く月名もあります。
菊の花が野のあちこちに咲き乱れる様を見て、古の人々は、しみじみ深まる秋を感じていたのでしょう。
敬老の日
九月の第三月曜日は「敬老の日」。
人生の先輩であるお年寄りを敬い、長寿を祝う日です。
「敬老の日」は元々「としよりの日」として昭和29年に制定されました。
しかし、「としより」よりは、もっといい呼び名を、ということで、昭和39年には「敬老の日」と変更されました。
昭和41年には、「敬老の日」は、老人を敬愛し長寿を祝う日として、国民の祝日となりました。
この「敬老の日」という名の由来として、有力な説がいくつかあります。
ひとつは「聖徳太子説」です。
聖徳太子は大阪に四天王寺を建てた時、四天王の名前に合わせて、敬田院・ 悲田院・施薬院・療病院の四箇院を設置しました。
この中の悲田院は、孤児院や老人ホームのような施設です。
この悲田院が誕生したのが9月15日であったため、この日が選ばれたという話があります。
それから「養老の滝」に因んだ説があります。
元正天皇が717年に「万病を癒す薬の滝」と言われていた、岐阜の養老の滝へ行幸されました。
この養老の滝には、父親思いの息子が老いた父に酒を飲ませたいと願ったところ、霊泉から酒がわいたという故事がありました。
この親孝行の息子の話から、全国的に9月中旬頃に地域のお年寄りを招待して敬老会を開くということが慣わしになり、そこで9月15日を敬老の日に定めたと言われています。
平成14年までは敬老の日は毎年9月15日でしたが、ハッピーマンデー制度により9月の第三月曜日に変更になりました。
父の日や母の日は外国から伝わったものですが、「敬老の日」は日本で生まれたものです。
改めて「敬老の日」の意味を考え、長年にわたり、社会や家庭を支えてくれたお年寄りたちに感謝し、長寿を祝いたいですね。
長月の食の歳時記 梨
梨は、日本で栽培される果物の中でも歴史が古く、弥生時代には既に食べられていたそうで、日本書紀の中にも、栽培の記述が残っているそうです。
大きく分けて、「赤梨」と「青梨」に分けられます。
赤梨は「豊水」や「幸水」など果皮が茶色いもので、青梨は「二十世紀」のような果皮が緑色の梨です。
梨はなんといってもその瑞々しさが本領ですが、その通り、水分と食物繊維が、たっぷりです。
ソルビトールという糖アルコールを含み、便が柔らかくなるので便秘予防になります。
カリウムも多く含まれ、高血圧予防にもなります。
江戸時代に品種改良が進んで、梨には沢山の種類が作り出されました。
幸水、豊水、新高、二十世紀、新興、南水、長十郎、秋月、愛宕、新水、にっこり、晩三吉、等々、どれも瑞々しく豊かな味の梨が生まれています。
梨が出回る頃は、まだ残暑も残っていて、冷たく冷やした梨が咽喉に嬉しいもの。
千葉、茨城、福島、鳥取、どこの産地の梨もそれぞれに美味しく、目移りしそうな贅沢な季節です。
長月の風呂敷包み スーツケースカバー
暑さが和らぎ始める九月からは旅行に相応しい季節になります。
大きな風呂敷なら、持ち手のバーに結び付けて、スーツケースのカバーにもなります。
荷物が増えたら取り外して、風呂敷バッグにして使うことも出来ます。
文月のふろしき
長月の風呂敷 月と桔梗柄
桔梗や萩、ススキなど、秋の草花が咲き乱れる野に、兎が大きく跳ねて遊んでいます。
十五夜の月が明るく照らす秋の野の風景が美しい一枚です。