日本の浮世絵を楽しむ―1 菱川師宣
浮世絵の祖 菱川師宣
菱川師宣は、幼い頃から絵を描くのが好きで、家業の刺繍の下絵を描くかたわら、独学で画技や画法を学びました。
その後、師宣は江戸に上り、それまで主流であった狩野派、土佐派、長谷川派の三派の手法を学び、絵師へと成長していきます。
師宣は浮世絵だけでなく肉筆画でも素晴らしい作品を残した大変優れた絵師でした。
技量に勝るとも劣らず、彼のすごいところは、沢山の新しいアイデアを生み出し、それを実行して行ったところです。
それまでの絵師は有力者の元で絵を描いていましたが、師宣は挿絵を描いた本に名前を入れて刊行し、自らの名前を売っていったのです。
また師宣が絵師として活躍する前は、版画は古典や物語の挿絵でしかありませんでしたが、師宣はこの挿絵のサイズを大きくし、読みやすい絵本にしたのです。
これらの絵本は今まで書物に触れることのなかった庶民にも、親しみやすく大評判となりました。
これを見た師宣は、今度は挿絵でしかなかった版画を、1枚の絵として売り出します。
一枚ものの肉筆画と違い、版画は大量生産が出来たので、庶民も手軽に手に入れられるようになり、大人気となります。
こうして、富裕層しか持てなかった絵画は庶民のものとなり、当時の人々の生きる様子を描く浮世絵は、彼に続く浮世絵師たちにより、続々と素晴らしい作品が生み出されていきます。
菱川師宣のこれらのアイデアと改革こそが、その後の浮世絵の発展につながり、今日でも日本のみならず世界の人々にも愛され、高く評価される浮世絵の基礎を作ったのです。
菱川師宣の浮世絵と肉筆画
菱川師宣の絵の題材は、彼が生きた時代の江戸の庶民生活や日常風景すべてといってもよいでしょう。
師宣はそれまでの有力者や富貴な人々に依頼されたものを描くのでなく、身分や職業、性別に関わりなく、市井の人々の日常生活や風俗を実に細やかに描きました。
現在では浮世絵の定番ともいえる歌舞伎や役者、遊里の女性などを描いたのも、師宣が最初です。
また、旅行ガイドブックともいえる「「江戸雀」や「東海道分間絵図」などで、北斎や広重のような名所絵も描いていて、数多くの題材の浮世絵を残しました。
師宣は浮世絵の祖と呼ばれますが、版画の浮世絵だけでなく、肉筆画も多数描きました。
その中でも傑作と言われるのが、最晩年に描いた「見返り美人図」です。
「見返り美人図」は無地に女性一人を描く寛文年間に流行った構図ですが、「玉結び」の髪型や鼈甲のかんざし、緋色に花の丸文様の着物に「吉弥結び」という帯の結び方など、元禄時代の流行を見事に取り入れています。
師宣が描く女性が「見返り美人図」に限らず高く評価されるのは、その技量に加え、彼の鋭い観察眼から得た当時のファッショントレンドが、実に細やかに美しく描かれていたからだと思います。

同じく晩年に描いた「歌舞伎図屏風」は、歌舞伎の中村座の芝居小屋の役者や観客の様子を生き生きと描写しており、重要文化財に指定されています。
その技量とアイデアと革新の力で浮世絵の祖と称えられる師宣でしたが、本人は「浮世絵師」ではなく「大和絵師」と自称しました。
版画の浮世絵も描きましたが、最晩年まで肉筆画も描いた師宣らしい名称といえましょう。
<冬木小袖>見返り美人ミク 風呂敷
東京国立博物館本館の大階段をバックにして東博が所蔵する<冬木小袖>をモチーフにした振袖をまとった初音ミクの、キービジュアルを使用した風呂敷です。
菱川師宣が描いた「見返り美人図」が、今をときめくピアプロキャラクターズ「初音ミク」とコラボした、実におしゃれな新旧融合の風呂敷です。

<冬木小袖>見返り美人ミク風呂敷画像
Art by森倉円/©CFM
見返り美人ミク オフィシャルECサイトより
https://mikaerimiku.official.ec/
© 見返り美人ミク オフィシャルECサイト
<冬木小袖>


文化財活用センター<冬木小袖>より
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