日本文化の「道」3
日本の「茶道」の流派
茶道流派の誕生

平安時代に日本に伝わった喫茶は、時代を経るにつれ、武家や公家、町人の間に広がっていきました。
その過程で様々な茶人と茶の湯の方式が生まれ、それぞれに茶の湯の流派として別れていきました。
各流派は各々に門弟を抱えることにより、茶の湯の流派を確立していき、茶道流派を持つことになった茶人や家は、「家元」と呼ばれるようになりました。
また茶の湯は茶を嗜むことだけでなく、精神修養の目的や価値を持つようになり、茶の湯は次第に「茶道」と呼ばれるようになりました。
茶道の流派

茶道の流派は、千利休以前の流れを残している古市古流や肥後古流などもありますが、大きく分けると、千利休の精神を受け継ぐ「千家(三千家)」、武家社会で発展した「武家茶道」、町人を中心に広まった「町衆の茶」に分類されます。
千家茶道(三千家)

侘茶を完成させた茶聖千利休の孫にあたる千宗旦は、利休の美意識をより研ぎ澄ました極侘びの茶風を作り出します。
その宗旦の息子たちは、それぞれ表千家、裏千家、武者小路千家という三つの茶家を独立させ、三千家として「千家茶道」を確立します。
表千家は、千利休の家督を継いだ本家にあたり、宗旦の三男の宗左が不審庵を継承しました。
千利休が確立した「わび茶」の精神に忠実に、伝統と格式を守り、無駄なく自然な所作を良しとします。
裏千家は、宗旦の四男の宗室が今日庵を継承し、伝統を守りつつも、新しいものを取り入れる柔軟さのある流派です。
積極的に学校茶道や海外普及にも取り組み、門弟人口が一番多い流派です。
武者小路千家は、宗旦の次男の宗守が官休庵を継承し、無駄を省いた合理的な作法が特徴です。
千利休が目指した「わび茶」の精神に、限りなく近づこうとする茶風です。
武家茶道(大名茶)

江戸時代以降に、大名や武士の間で発展していった茶道で、大名茶とも呼ばれます。
千家茶道の「わび茶」の精神に、武家の格式や礼法を融合させ、実用性や形式美がみられます。
各大名家は武家の教養や精神修養のひとつとして、それぞれ独自の流派(お家流)を定め、嗜んでいきました。
武家茶道の代表的な流派としては、小堀遠州の遠州流、片桐石州の石州流、古田織部の織部流、上田宗箇流、宗和流、藪内流などがあります。
小堀遠州が創始した遠州流は、「綺麗さび」と呼ばれる上品で優雅な茶風の流派です。
片桐石州が祖の石州流は、規律と格式を重んじ、幕府の公式茶道として武士の間に広まりました。
古田織部が確立した織部流は、利休の侘び茶に大胆で清新な美意識を取り入れた茶風です。
上田宗箇が創始した上田宗箇流は、広島藩で武士の気風が受け継がれている流派です。
金森宗和が確立した宗和流は、公家の雅と武家の枯淡を融合させた流派です。
藪内剣仲が創始した藪内流は武家茶道ながら利休の茶の湯の心を継承しています。
町衆茶道(町方茶道)

商人や町人を中心に広まった茶道形式で、室町時代後期から始まり、千家の分流を始め、様々な茶の湯が独自の発展を遂げていきました。
町衆の茶の湯は、利休の「わび茶」をベースに、町方の自由で闊達な精神や美意識が特徴です。
代表的な流派としては、江戸千家流、宗編流、久田流、松尾流などがあります。
江戸千家は表千家如心斎の高弟川上不白が江戸で興した流派で、洗練された江戸の風情と機能美を取り入れた流派です。
山田宗徧を流祖とする宗編流は、無駄をそぎ落とした質素な「わび茶」を継承する流派です。
久田流は利休の甥の久田宗栄により創始され、表千家と繋がりが深く、伝統的な点前を守る流派です。
このように色々に茶道の流派はありますが、どの流派であっても、茶道は単に作法を学ぶだけの習い事ではありません。
人を敬い、物事に動じず、自分を磨き、豊かな心を持つための精神修養となるのが、茶の道なのだと思います。
茶道青年部卒業に贈られた風呂敷
ある流派の茶道青年部で活躍されていた方が、青年部を卒業されました。
卒業に際し、青年部から贈られたのが、こちらの花の柄に名入れされた風呂敷です。
品の良い藍色に優しい花が咲き揃った柄で、様々な茶道具が持ち運べるよう大判の風呂敷です。
上品な彼女にぴったりの色柄、そして実用的な風呂敷を贈られた青年部の方々、さすが茶道を学ぶ方々だなあ、と感じました。
