日本の浮世絵を楽しむ7 歌川国芳
奇想の絵師 歌川国芳

歌川国芳は、奇想天外な発想と大胆で斬新な構図で、ダイナミックな浮世絵を描いた浮世絵師です。
国芳は日本橋の紺屋の家に生れ、12歳という若さで画才を認められた天才肌で、15歳でその当時の人気絵師である歌川豊国に入門しました。
しかし、なかなか芽が出ず、ようやく脚光を浴びたのは、30歳を過ぎてからでした。
中国の小説「水滸伝」を題材とした「通俗水滸伝豪傑百八人之一個(壱人)」シリーズが大ヒットし、国芳は数々の武者絵で「武者絵」の国芳と呼ばれるようになります。

歌川国芳「誠忠義心伝-矢多五郎右衛門祐武」
一躍有名になった国芳ですが、その後は魚や妖怪の衝撃的なクローズアップ、戯画シリーズなど、大胆に誇張した表現で、武者絵以外でも人気を博しました。
また、江戸幕府による厳しい規制を逆手に取り、風刺やユーモアたっぷりの見立て絵や判じ絵で江戸の庶民の心を掴みました。

歌川国芳「太平記英勇伝-稲上代九郎正忠-井上大九郎」
国芳の見立て絵
国芳が絵師として人気を確立した頃、天保の改革が始まり、歌舞伎や寄席など庶民のさまざまな娯楽が次々と厳しい統制を受けるようになります。
小説や浮世絵も厳しい規制を受けるようになり、国芳たち絵師は幕府への不平不満は元より、歌舞伎役者や遊女なども描くことが許されなくなります。
しかし、国芳はそんなことにはへこたれず、「見立て絵」を描くことで、見事に幕府の統制をかわしていきます。

歌川国芳「里すゞめねぐらの仮宿」
国芳の「里すずめねぐらの仮宿」は吉原遊郭の格子越しの遊女と客の様子を描いていますが、よく見ると人物の顔は全て、人間ではなく「雀」です。
国芳は雀を登場人物に「見立て」、禁制の目を逃れたのです。
その頃、吉原の客は「吉原雀」とも呼ばれていたので、国芳はそのことも活用したのかもしれません。
幕府の統制に不満を持っていた当時の庶民たちは、国芳の「見立て絵」から、彼の反骨精神と共に遊び心も読み取って、大いに賛同し楽しんだのでした。
国芳の寄せ絵
「寄せ絵」とは、「だまし絵」とも呼ばれ、沢山の人や動物、事物を寄せ集めて、文字や人の顔などにした浮世絵です。
国芳はいくつも「寄せ絵」を描いていますが、この「みかけハこハゐがどんだいゝ人だ」(見かけは怖いがとんだ良い人だ)は、よく知られている作品です。

歌川国芳「みかけハこハゐがどんだいゝ人だ」
一見、普通の人物を描いた浮世絵に見えますが、よく見ると、何人もの裸の人が折り重なり、顔を構成しています。
目も鼻も口も耳も顎も額も眉毛も髷も、そして手のひらまでも、裸の人間を組み合わせて描かれていて、国芳のユニークでウィットに富んだ感性が溢れ出ています。
人物の顔の横には、「大勢の人が寄ってたかって とおといい人をこしらえた とかく人のことは 人にしてもらわねば いい人にはならぬ」(大勢の人が寄ってたかってとうとう良い人をこしらえた。とかく人のことは人にしてもらわねば良い人にはならぬ)という文章が添えられています。
国芳の風呂敷
明治の浮世絵研究者の飯島虚心の「浮世絵師歌川列伝」によると、国芳は常に5、6匹の猫を飼い、さらに1、2匹は懐に入れ、絵を描いている最中も猫を離さなかったそうです。
そんな猫好きな国芳だったので、猫をモチーフにしたり、風刺に使った作品は沢山残っています。

歌川国芳風呂敷 猫飼好五十三疋

歌川国芳風呂敷 流行猫の手まり