日本の浮世絵を楽しむ―1
浮世絵とは
葛飾北斎「諸国名橋奇覧 東海道岡崎 矢はぎのはし」
浮世絵は、江戸時代に発展した木版画の一種で、庶民の中で成熟していった絵画です。
江戸時代初期、それまで読本の挿絵でしかなかった浮世絵版画は、菱川師宣により一枚の絵画作品として認められるようになります。
そして鈴木春信らにより「錦絵」という多色刷りの技法が生まれると、鮮やかな色彩や大胆な構図の素晴らしい浮世絵作品が次々と生まれました。
木版画の制作過程は、画家が原画を描き、それをもとに彫師が木版に彫刻し、それを摺師が和紙に摺り、最後に版元が販売、という過程を経て、庶民の手に届きました。
浮世絵の題材は、庶民の日常の風俗やその時の流行、美しい日本の風景、歌舞伎役者や遊里の女性の姿などで、江戸の庶民とともに大衆文化の担い手となりました。
浮世絵の名前の由来
浮世絵の「浮世」の語源は、仏教の概念から生まれた「憂き世」という言葉です。
仏教には「無常」という考え方があり、浮世は「変わりやすく儚い現世」であり、「この世の苦しみに満ちたはかない世界」を指していました。
江戸時代になる前は戦国時代でしたから、まさにこの世は死も身近な「憂き世」だったのです。
しかし、江戸時代になると戦はなくなり平和な世の中が訪れます。
人々は落ち着いて生活できるようになり、庶民も衣食足りて、徐々に暮らしの中で娯楽を楽しめるようになります。
次第に「憂き世」は憂う世から楽しめる世になり、現世を謳歌することである「浮世」に変化して行きました。
木版画はそんな「浮世」そのものを題材にしたので、「浮世絵」と呼ばれるようになりました。
浮世絵の歴史
江戸時代になるまで、芸術文化の担い手は貴族や武士などの支配階級でした。
しかし江戸時代になって町人が活躍するようになると、町人文化が花開き、庶民にも町人文化が広まっていきます。
浮世絵は、江戸時代初期に菱川師宣が始めた単色刷りから始まり、鈴木春信により「錦絵」という鮮やかな多色刷りに発展していきます。
「錦絵」を生んだ春信は女性美をモチーフにした「美人画」に才を発揮します。
春信亡き後は鳥居清長が「美人画」の人気絵師となり、江戸時代中期は「美人画」全盛期となります。
この頃、浮世絵の版元で名プロデューサーでもあった蔦屋重三郎は、なかなか芽が出なかった喜多川歌麿を見出します。
歌麿が蔦重と組んで売り出した「大首絵」は、上半身のクローズアップで美人画の代名詞となり、歌麿は大人気の絵師となります。
歌麿は蔦重のプロデュースで次々と傑作を発表しますが、幕府から風紀取締りで処分され、第一線から退いていきます。
喜多川歌麿「婦女人相十品・ポッピンを吹く女」
歌麿が去った後、蔦重は不振が続く歌舞伎界に目をつけ、「役者絵」シリーズを作ろうと思いつきます。
この浮世絵の製作に蔦重が大抜擢したのが、東洲斎写楽でした。
写楽の描く「役者絵」は、それまでの美しく役柄にふさわしい「役者絵」とは違い、役者本人の顔立ちや表情を写実的に描くものでした。
それまでの眉目秀麗な「役者絵」に慣れた江戸の庶民にとって、写楽の「役者絵」は大変衝撃的で大評判となり、大いにもてはやされました。
ただ、写楽の「役者絵」はあまりにもリアルで、写楽に描かれることを嫌った役者もいたようです。
東洲斎写楽「二世大谷鬼次の奴江戸兵衛」
江戸時代後期には、それまでに作られて来た技法や画風が成熟し、多くの優れた浮世絵師や浮世絵が生まれます。
当時は歌川派という大派閥が出来ており、それを率いていたのが歌川豊国です。
美人画や役者絵、本の挿絵まで手広く手掛けていた豊国は、絶大な人気を博し多くの絵師が弟子入りしました。
歌川広重も豊国に弟子入り希望でしたが入門を断られ、豊国の兄弟弟子だった豊広に入門します。
静かな画風の豊広の影響で、広重は次第に「風景画」に興味を示し、最初の風景画集「東都名所」を発表します。
この「東都画集」は、先に活躍していた葛飾北斎の成功の陰に隠れてしまいますが、次に発表した「東海道五拾三次」は、旅ブームに沸く江戸の庶民にうけ、大ヒット作となります。
歌川広重「東海道五十三次 濱松 冬枯ノ図」(1833-1834)
広重より先に空前の「風景画」ブームを起こしたのは、葛飾北斎72歳の時に描いた「冨嶽三十六景」でした。
「富嶽三十六景」は当時も大ヒットした風景画集ですが、今では世界で一番有名とも言える、日本の美術を代表する浮世絵となっています。
「風景画」での大成功後も、北斎の絵に対する興味は尽きることがなく、90歳で亡くなるまで絵師としての人生を全うしました。
歌川広重と同じ年の歌川国芳は、早くに歌川豊国に入門を許された天才肌で、無頼派の性格から独自路線を模索します。
国芳は勇壮な「武者絵」、魚や妖怪の衝撃的なクローズアップ、戯画シリーズなど、大胆に誇張した表現で、大人気を博していきます。
この国芳の弟子には、河鍋暁斎や月岡芳年など明治時代を代表する絵師がおり、その後も浮世絵の伝統は時代を超えて受け継がれていきました。
歌川国芳「太平記英勇伝 稲上代九郎正忠 井上大九郎」
浮世絵柄の風呂敷
浮世絵をモチーフにした風呂敷は昔から作られていましたが、風呂敷が使われなくなると廃番にしようかと言われたこともありました。
しかし、昨今のインバウンド需要や日本文化ブームで、浮世絵柄を使った風呂敷も人気が出てきています。
歌川広重「東海道五拾三次之内 川崎 六郷渡舟」
鳥居清長「雨中湯帰り」
葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」